天下がおおいに乱れ、群雄が割拠し覇を競った、後漢末。そんな中、天下を三分して覇を争いあったのは、曹操と孫権、そして、名軍師、諸葛亮孔明とのコンビが有名な劉備!
というのがお決まりの口上なのですが、そうした三国志の主人公たちが出そろうよりも少し前に、もう一人、天下をめぐる争いに参加していた人物がいました。北方の雄、袁紹です。
袁紹は、もともとは後漢王朝の体制下では名門中の名門の出身。おまけに河北の豊かな土地を領地として支配し、十万の大軍を動員できる状態で乱世に突入しました。かの曹操よりも、天下獲りのレースでは理郎的な好スタートを切っていたのです。
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袁紹の下に諸葛亮孔明が加わる夢のイフシナリオは見参するか?
そんな袁紹は、どうして三国志の物語の初期において、あっけなく曹操に敗れ去り、歴史から姿を消してしまったのでしょうか。
実は、袁紹が愚将であったかのように思われているのは、後世の『三国志演義』において、曹操とその部下たちの異才ぶりを目立たせるための配分でのこと。実際の袁紹は、なかなかに統率力もあり、軍事指導の面でもベテランであり、決して愚昧な人物とは思えません。
ただし、袁紹の欠点として、史実においても目立つのは、官渡の戦い等の決定的な場面において、判断ミスや、あるいは判断の遅れを繰り返していた点。果敢な判断力と胆力に満ち溢れていた若き日の曹操には、確かに、どうしても、見劣りがします。
ですが、こうは考えられませんでしょうか?
中国の歴史においては、「本人の才覚はいまひとつだが、補佐する部下に恵まれていたおかげで大活躍ができた英雄」というパターンは少なくありません。要するに、袁紹には、彼の欠点を補い支える強力な補佐役が必要だったのでは?
そして袁紹が曹操軍と対決せねばならなくなった頃において、優秀な軍師として、まだ誰にも登用されておらずフリーな人材といえば・・・諸葛亮孔明がいたではありませんか!
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諸葛亮孔明が袁紹軍で働くために必要な条件とは?
「しかし、この時期の諸葛亮孔明はまだ十代の若者ではないか!」と思うかもしれません。心配ご無用です!孔明ほどの異才ならば、きっと、十代の時に登用しても即戦力としてオトナ顔負けの大活躍をすることでしょう(汗)。
「いやしかし、いくらこの時期にまだ在野の身分であったとはいえ、袁紹軍に諸葛亮孔明がやってくる理由がないではないか?」と思うかもしれません。その点も、心配ご無用です。実は曹操と対峙していた頃の袁紹軍には、その保護を受ける客将の身分ながら、曹操の手から逃げ落ちてきていた劉備が参加していたのです!
なるほど、袁紹本人が三顧の礼をとっても、諸葛亮孔明は動かないでしょう。しかし、袁紹が、劉備に頼み込んで、「諸葛亮孔明を三顧の礼で連れてきてくれれば、きっと劉備殿に将来、大きな土地と軍を渡して独立させてやるから!」と土下座すれば、仁義に厚い劉備、それならばと、諸葛亮孔明を迎えに行ってくれるかもしれません!
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赤壁の戦いの先駆?袁紹が劉備と同盟を結び曹操に抗する!
このイフシナリオは、残念ながら、袁紹が直接、諸葛亮孔明を登用できるわけではありません。さすがに、それは無理というものです。ですが袁紹が、自らの陣営に保護を求めてきていた劉備を自らと対等な同盟者として厚遇し、その劉備が諸葛亮孔明を登用してくれれば?
あたかも赤壁時代の孫権が、劉備と強固な同盟を結んだことで、諸葛亮孔明の作戦を採用して曹操軍と戦えたように、
袁紹も劉備を対等な同盟者として帷幕に迎え、そこに諸葛亮孔明も連れてきてもらえれば、結果としては、対曹操の戦いに孔明の頭脳を取り入れることができます。それだけでも、曹操への勝率はぐんと上がるのではないでしょうか。
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袁紹軍に合流した諸葛亮孔明が「言いそうなこと」!
こうして袁紹に対して助言をする立場となった諸葛亮孔明。曹操との対決で苦慮する袁紹に、どのような助言をするでしょうか?ざっと、以下のような提案になるのではないでしょうか?
・曹操との戦いに集中すべき、公孫瓚と和睦し、さっさと仲間に引き入れること
・一族の中で造反者が出ないよう人心掌握に尽力すること
・烏巣の兵糧が狙われることなど誰が見ても明白なので、むしろ烏巣をおとりに使い、曹操に逆の火攻めをかけること
特に公孫瓚との余計な戦いや、一族の不和による内部崩壊というつまらない懸念は徹底的に火種をつぶすよう孔明は進言するでしょう。
そして、公孫瓚と争わずに北方大同盟を組んで味方につければ、タイミングがよければ、もれなく趙雲がついてきます。もはや、いいことだらけです!
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まとめ:唯一の懸念は、劉備が出て行ってしまうこと!
袁紹が劉備を厚遇し、劉備を通じて諸葛亮孔明の知恵を借りられるようになったこのイフ世界ならば、曹操に対する勝率は上がり、まさかの「官渡の大反撃」もあり得るかもしれませんね。
ただし、このシナリオには、大きな懸念があります。劉備を同盟者として遇し、兵力も与え、諸葛亮孔明や趙雲をつけてやった場合、そんな劉備と諸葛亮孔明が、いつまで袁紹の下にとどまってくれるか、ということです。
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三国志ライターYASHIROの独り言
わずか数日のうちに、二人の間で、
「劉備様。考えてみれば、私たちは袁紹のもとなどにとどまらず、早晩自力で独立したほうが早いのでは?」
「おお、それもそうだな孔明よ!」という会話が成立し、
ある朝、起きてみたら、劉備は孔明や趙雲を連れて出奔済み、なんてことになっても不思議はありません。はたして、袁紹は、劉備と孔明のコンビをどれだけの間、手なずけ、自分の戦力として使いこなせるでしょうか?
え?劉備や諸葛孔明を使いこなせる度量の将軍なら、審配やら田豊といった、もともと袁紹軍にいた有能な人材をもっと大切に使えていたはずですって?いや、なるほど、それはごもっとも。
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