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馬陽と邯鄲包囲戦の共通点
「馬陽の戦い」と「邯鄲包囲戦」には、
戦術の構造や人間関係において
非常に深い共通点と相違点があります。
・共通点:李牧の恐るべき「再現性のある罠」
馬陽と邯鄲包囲の共通点は
李牧による「囮と情報遮断と完全包囲」です。
どちらの戦いも、
秦軍が標的に夢中になっている背後から、
李牧が想定外の大軍を率いて急襲包囲。
という基本戦略が共通しています。
馬陽では、突出した王騎が龐煖という
「囮」を追って山間の伏兵地帯に誘い込まれ
李牧の大軍に背後を断たれて包囲されました。
邯鄲包囲戦では、
趙の王都・邯鄲の城壁を落とそうと
攻城戦に集中していた飛信隊の背後に気配を消していた
10万もの李牧軍が突如として現れて挟撃
及び半包囲の形を作りました。
・飛信隊(李信)が「絶体絶命の危機」に陥る
馬陽でも邯鄲包囲戦でも
李信率いる飛信隊が李牧の戦術によって
退路を絶たれ全滅の危機に瀕します。
馬陽の時は百人将だった李信ですが、
邯鄲包囲戦では将軍として同じような
「背後からの奇襲包囲」という
絶望的な盤面に直面しています。
・秦の「総大将・総司令部の見誤り」
李牧の「情報を秘匿する能力」に対し、
秦の司令部が敵の兵数や動向を
読み違えた点も共通しています。
馬陽では王騎ですら
「趙の伏兵(本隊)の接近」を
直前まで察知できず、
邯鄲でも前線の蒙恬や司令部が
「消えた趙兵(李牧の隠し玉)」の存在に
気づくのが遅れました。
邯鄲包囲戦では秦が侵攻側である性質から
趙兵がどの程度配置されているか不明でしたが
李牧の神出鬼没の用兵により
飛信隊は邯鄲を包囲するまで自軍が李牧の
大軍に包囲されている事に気づきませんでした。
馬陽と邯鄲包囲戦の相違点
・戦いの「規模」と「目的」の違い
馬陽の戦いは秦にとっては
「趙の急な侵攻に対する防衛戦」です。
李牧にとっては
王騎を誘い出して討ち取るための
ピンポイントな暗殺戦でした。
失敗しても趙が攻められるわけではない
ある種気楽な引っかけです。
・邯鄲包囲戦
秦にとっては趙を滅ぼすための王都攻略であり、
国の存亡をかけた文字通りの最終決戦です。
戦う兵の数も、国家の命運の重さも桁違いです。
李牧に取っても負けると趙が滅ぶ
少しのミスも許されない戦いです。
・李信の「身分」と「背負うものの大きさ」
馬陽の戦いでは、李信はまだ一介の「百人将」で
総大将・王騎の背中を追いかける立場でした。
戦術の全責任は王騎や蒙武にありました。
一方で邯鄲包囲戦では将軍として
前線を任されています。
そのため、自分自身の判断でこの李牧の罠を破り
部下たちを生き残らせなければならないという
圧倒的な責任の違いがあります。
・趙側の「心の余裕」
馬陽の戦いでは、李牧や趙軍には
王騎を討ち取るための緻密な計画と
圧倒的な戦略的余裕がありました。
これにより前もって不測の事態を
回避するシュミレーションは
完璧に出来ていたと考えられます。
しかし、邯鄲包囲戦では
王都の目の前まで迫られているため
邯鄲城サイド特に趙王には
精神的に後がない狂乱状態にあります。
李牧の策も前もって仕組んだ
優雅な罠というよりは
二つの防衛陣を破られた結果
急遽編み出した計略の面が強く
邯鄲を餌にしても
李信と蒙恬を始末するという
執念が強く出ています。
つまり邯鄲包囲戦では
馬陽のような余裕はないのです。
882話で起こりそうな展開
では、882話で起こりそうな
展開を予想してみます。
李信と蒙恬が合同で趙軍の壁を粉砕
飛信隊が壁を突破して退却開始
李牧が公孫龍に飛信隊追撃を厳命
李信と蒙恬が壁が塞がるのを武力で抑える
現在の邯鄲の状況が王翦に届く
王翦「ほぅ」と言う
このあたりで流石に王翦出てくるでしょう。
李牧が邯鄲に釘付けになっている今こそ、
王翦が別の一手を打つ可能性があります。
882話のラストで王翦が静かに
「ほぅ」とつぶやいて終わる
そんな演出も十分ありそうです。
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