
秦の戦の多くは、昌平君の机の上から始まっています。鄴を攻める奇策も、大敗のあとの立て直しも、考えたのはこの人。それなのに、昌平君の名前でGoogle検索すると、なぜか「裏切り」という言葉が並びます。
作中で昌平君がどんな役目を負い、どこで大きな決断をしてきたのか。そして、史書の昌平君がたどった、作中の今からは想像しにくい結末まで、順にご紹介していきます。
※この記事は2026年10月時点の内容です。原作の最新話(第890話)までの展開と、史実の昌平君の最期に触れています。
この記事の目次
結論:昌平君は秦の軍の総司令。史実では楚の王に立てられて秦と戦った
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 読み | しょうへいくん |
| 作中の立場 | 秦の右丞相で、軍の総司令。軍師を育てる学校も開いている |
| 出発点 | はじめは呂不韋を支える「四柱」の一人。37〜40巻の加冠の儀で呂不韋のもとを離れ、嬴政の側につく |
| 主な策 | 鄴攻め(46巻〜)、什虎を魏と攻めて結ぶ同盟(60〜61巻)、大敗のあとの「三つの柱」(73〜74巻) |
| 親しい人物 | 蒙武とは幼いころからの友。蒙毅や河了貂は軍師学校で学び、蒙恬も昌平君を師と仰ぐ |
| 作中の今 | 第890話の時点で、秦を離れる場面は描かれていない |
| 史実 | 嫪毐の乱の鎮圧に加わる。のちに楚の将・項燕に楚王として立てられ、秦軍に敗れて死ぬ |
巻の範囲は、Wikipedia「キングダム (漫画)」のあらすじの章立てによります。史実は『史記』秦始皇本紀で確かめました。
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昌平君はどんな人物?知略と武の両方を持つ総司令
昌平君の仕事は、戦の全体を設計することです。どの国のどの城をいつ攻め、誰を大将にし、兵糧をどう回すのか。現場の将たちが命をかけて戦う、その前の段取りを一手に引き受けています。軍師を育てる学校を自分で開いていて、蒙毅や河了貂はここで兵法を学びました。アニメ公式の人物紹介によると、蒙恬も昌平君を師とする一人。
知略の人として描かれる昌平君ですが、作中では武人としての顔ものぞかせます。のちに加冠の儀の戦いで自ら矛を振るい、敵将を討つ場面は、それまで机の前の姿しか知らなかった読者を驚かせました。もう一つ欠かせないのが、蒙武との関係です。二人は幼いころからの友。武一本の蒙武と、頭で戦う昌平君。正反対の二人が、互いを一番よく分かっている間柄として描かれます。
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昌平君の主な決断と策
| 巻 | 場面 | 昌平君がしたこと |
|---|---|---|
| 24巻 第256話「左丞相」 | 呂不韋が相国になったころ | 秦の丞相の座に就く |
| 37〜40巻 | 加冠の儀 | 呂不韋のもとを離れ、昌文君とともに咸陽を襲った反乱軍の討伐に向かう。自ら軍を率いて敵将を討つ |
| 46巻 第495話ごろ | 鄴攻めの前 | 趙の王都・邯鄲ののど元にある鄴を狙う、奇策を出す |
| 60巻 第649話〜61巻 | 什虎城の戦い | 魏と組んで楚の什虎を落とし、その城を魏に渡して同盟を結ぶ |
| 65巻〜 | 宜安の戦い | 李牧の長城を避けて、趙の北の宜安を攻める策を立てる |
| 73巻 第800話ごろ | 番吾の大敗のあと | 領民の戸籍づくり、軍の編成の改革、韓を滅ぼすことの「三つの柱」を出す |
| 77巻 第843話ごろ | 韓が滅んだあと | 新鄭に入り、韓の王族を殺さずに残して、ともに旧韓の地を治め始める |
中身はWikipedia「キングダム (漫画)」のあらすじ、話の番号は集英社の単行本の目次と各話のレビュー記事によります。表を見ると、昌平君の出番は、秦が大きく負けた直後に集まっています。
番吾で大敗した73巻では、兵が足りないなら国中の民を数え直すところから始める、という策を出しました。負けた夜に家計簿を最初からつけ直すような、地味で途方もない立て直し方。
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昌平君は裏切る?史実の最期は「楚王」として
Google検索で「昌平君 裏切り」と調べられる理由は、史書にあります。『史記』秦始皇本紀に残る昌平君の記事を、年の順に並べると次のとおりです。
| 年 | 『史記』秦始皇本紀の記事 |
|---|---|
| 始皇九年(紀元前238年) | 嫪毐の乱で、王が昌平君・昌文君らに兵を出させて攻めさせる(原文の「相国」が昌平君を指すかは、読み方が分かれる) |
| 始皇二十一年(紀元前226年) | 新鄭が反乱を起こし、昌平君が郢に移る |
| 始皇二十三年(紀元前224年) | 楚の将・項燕が、昌平君を楚の王に立てて、淮南で秦にそむく |
| 始皇二十四年(紀元前223年) | 王翦と蒙武が楚を攻めて破り、昌平君は死に、項燕も自ら命を絶つ |
秦で嫪毐の乱の鎮圧にあたった人物が、十数年後には楚の王として秦と戦っているのです。「裏切り」と呼ばれるのは、この流れから。『史記』の注釈書『史記索隠』は昌平君を楚の公子としていて、楚の王族の出だったと考えられています。
ただ、なぜ秦を離れて楚に立ったのか、その理由は『史記』には書かれていません。そして、昌平君を討った秦軍の将に、蒙武の名前があります。作中で幼いころからの友として描かれている二人が、史書では敵と味方に分かれて最後を迎えるのです。
ここを知ってから作中の二人のやりとりを読み返すと、何でもない会話にまで重さが出てきます。作中では、第890話の時点で、昌平君が秦を離れる場面はまだ描かれていません。原先生がこの史書の数行をどう描くのか、気になって仕方がありません。
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キングダムの昌平君のよくある質問
昌平君は味方ですか、敵ですか?
作中の今は、嬴政を支える秦の総司令です。はじめは呂不韋の側にいましたが、加冠の儀(37〜40巻)で嬴政の側につきました。
昌平君は死亡しますか?
作中では、第890話の時点で生きています。史実では、紀元前223年、楚の王として秦軍と戦い、王翦と蒙武に敗れて死んでいます。
昌平君と蒙武の関係は?
幼いころからの友です。作中では、互いを深く理解し合う間柄として描かれます。
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キングダムライターおとぼけの独り言
昌平君の史実を追っていて、ふと思ったのは、蒙恬のことでした。
蒙恬は、昌平君を師と仰ぐ一人。そして史実の蒙恬は、昌平君が死んだ戦いのすぐあとの時代に、秦の将として斉を攻めています。師が楚の王として倒れたあとも、弟子は秦の将として天下統一の戦いを続けた、と読めます。作中で昌平君が秦を離れる日が来るとしたら、そのとき蒙恬や蒙武はどんな顔をするのか。想像するだけで、少し胸が重くなります。
それでは兄弟たちよ、また次の記事でお会いしまっせ!
















