龐統と言えば、酒ばかり飲んで仕事しないという社会人の敵という印象しかありません。確かにそれは正史『三国志』にも掲載されている事実であり、小説『三国志演義』も面白おかしく脚色していました。
しかし、実際の龐統はそんな堕落した人物ではありません。そこで今回は正史『三国志』をもとに龐統の仕事について解説します。
※記事中のセリフは現代の人に分かりやすく解説しています
劉璋捕縛作戦
建安17年(212年)に劉備は益州の劉璋と会見します。劉璋は長年、五斗米道の張魯と争って困っていたので、同姓である劉備に助けを求めてきました。ちなみに劉璋の父の劉焉と劉備が黄巾の乱で知り合ったというのは、物語を面白くするためのフィクションです。劉璋との会見前に龐統は劉備にあることを提案します。
「この会見を利用して劉璋を捕縛しましょう。そうすれば益州を簡単にとることが出来ます」
劉備は益州に来たばかりで地元の人々の信頼も得ていないから、その作戦は危険であると言って龐統の提案を拒否。劉備の言うことは一理ありです。現代でも田舎で事業を起こす際は、地元の人々の同意が不可欠。強行的な手段で行くと、あとでどんなしっぺ返しが来るか分かりません。
結局、龐統の劉璋捕縛作戦は実行に移されることはありませんでした。ちなみに小説の龐統は正史よりも強硬派であり、酒宴の席で魏延と劉封に剣舞をさせて、劉璋の暗殺を企みます。劉備はこの時、龐統の強行策に腹を立てました。
ホウ統の3つの策
しばらくすると劉備は張魯の討伐に向かうことにしますが、龐統はここで前から言っていた劉璋との対決のために3つの策を提案。
(1)今から成都まで一直線に進撃すること。
(2)白水関にいる楊懐・高沛の2名を斬り、そこを拠点に進撃すること。
(3)荊州まで戻って、軍備を整えて進撃すること
3つのうち、(1)は上策、(2)は中策、(3)は下策。劉備は(2)を実行に移すことにします。白水関にいる楊懐・高沛は劉璋軍の名将であり正面からやり合えば、損害は大きいです。だが劉備は今から荊州に帰ると言って2人だまします。
「マジで、帰るの?」と喜んだ2人は劉備を見送りに登場。そこを捕縛されて斬られてしまいます。主将を失った白水関は、あっという間に陥落。劉備軍は一気に快進撃をしました。
劉備を諫める龐統
白水関の勝利後、劉備は連戦連勝となります。大喜びの劉備は宴会の席で「今日の集まりは楽しい」と発言。これを聞いた龐統は、「他人の国を奪って喜ぶのはいけません」と厳重注意。
酔っていた劉備はカチンときて、「周の武王が殷の紂王を討伐する時に、歌をうたって踊りをする者がいたぞ。これはどう説明するんだ?」と怒りました。さすが元・盧植門下。返答が普通ではありません。
とうとう劉備は龐統に退出まで命じます。時間が経過して頭が冷えた劉備は、龐統を呼び戻しました。戻ってきた龐統は何も言わずに飲み食いしています。滅茶苦茶気まずいですけど劉備は、「さっきはどっちが悪かったのかな?」と龐統に尋ねました。
「どっちもですよ」と龐統は答えました。劉備は、ほっとしたそうです。
三国志ライター 晃の独り言
以上が龐統の仕事に関しての話でした。龐統は益州侵攻の最中に亡くなったので、彼に関しての業績は益州攻めにまつわるものしか残されていません。龐統が劉備を諫めたのは劉備に侵略者のレッテルを貼らせないためと考えています。龐統はきっと、悪いところは全て自分が背負う覚悟があったのでしょう。
そのためにはトップである劉備には「善人」、「聖人君子」でいてもらいたかったに違いありません。そうだとすると、酒に酔ったこととはいえ劉備の発言は軽率でしたね・・・・・・
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