今回は黄夫人に付いて少しお話したいと思います。黄夫人というと該当者はいくらかおりますが、今回の黄夫人は諸葛亮の妻となったとされる女性、黄氏のこと。
この人物は色々な逸話や伝承が謎に謎をよんでいる人物でもあり、不思議なベールにその存在が包まれているミステリアスな夫人。そもそも本当に頭が良い奥さんだったのか?そのソースはどこ?色々と見ていきましょうね。
この記事の目次
面白いよ!新解釈・三国志のキャラクターたち
さていきなり新解釈・三国志のお話を少ししてしまいますが。2020年に公開された映画であり、本当に新しい解釈の三国志を見せつけてくれた作品です。この新解釈・三国志の諸葛亮はムロツヨシ氏が演じており、今までの諸葛亮よりも更に一歩抜きんでた奇才で……という訳ではなく、寧ろ凡人。真の天才はその妻・黄夫人で、勝気で可愛らしい才媛として魅力的な黄夫人を橋本環奈氏が演じて下さっています。この黄夫人は正に才媛、美女と言って良い存在でしょう。
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三国志演義黄夫人
では次に、同じく創作の黄夫人として、三国志演義の黄夫人を見ていきましょう。この黄夫人も当然ながら諸葛亮の妻で、かなりの才媛です。
その知識は深く、そして広く、天文学や易学にも通じていたとされ、その知識を夫である諸葛亮に伝授しました。つまり諸葛亮が東南の風などの気象情報について詳しかったのは、この黄夫人の知識あってこそ……とも言えるかもしれません。夫亡き後、その後を追うように亡くなったとされています。
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三国志における黄夫人の存在……言い過ぎでは?
それなら正史三国志における黄夫人の存在はどうなのかと言うと、伝はなく諸葛亮伝の註に引く「襄陽記」にその姿が窺い知れます。
沔南の名士とされる黄承彦が、嫁探しをしているという諸葛亮の元に赴き「私には娘がいる、赤毛で色黒い肌の醜い娘だが、才知に優れていて君には似合いの娘だろう」と言い、諸葛亮はこれを承知したので黄承彦は娘を車に乗せて送り届けました。……これを見る度に思うのですが、お父さんもう少し娘の容姿を褒めてはいかがでしょうかね?
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醜い容貌が評判となっていた可能性……?
この黄承彦と諸葛亮のやり取りは当時の人々の間では有名となりました。と言っても良い意味ではないようで。郷里ではこのことを「孔明の嫁選びを真似るなかれ、醜い娘をもらう羽目になるぞ」と笑い合ったと言います。よりによって正史三国志の記述が注釈でこの程度しかない人物なのですが、それ故か黄夫人の存在は人々の想像を掻き立て、色々な伝承、創作が入り乱れることとなるのでした。
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黄夫人は本当に醜かったのか?
さて黄夫人、不美人であることが笑い話にされるほどの人物ですが、これにも諸説あります。まずは賢く美しかったからこそ本当に彼女の良さを分かってくれる婿を求めていた、つまり本当は美人説。父親が言うほど、そして周囲から囁かれるほどに不美人だった説。また当時の美人は今の美人の基準と違う、赤毛の褐色肌はインド系のエキゾチックな美女だったんじゃないかな説。
黄承彦の言い分を信じるなら当時の判断としては不美人であったのでしょうが、美人だったからこそ良い婿を探していた説も中々に面白く……そして、現代にまでその容姿は不明です。
創作の場合は基本的には美人、とされることが多いですね。
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黄夫人は本当に頭のいい女性だったのか?
ここでもう一つ、謎なのが黄夫人は本当に才女であったかどうか。
一説には有名な木牛・流馬などのからくりの発明はこの黄夫人が発案したとも言われ、夫である諸葛亮の行軍を手助けした……とも言われますが、残念ながらどのような形状かは分からず、その真偽も不明。
更に言うと彼女の逸話が殆ど記録として残されていないので、曹操の卞夫人や、司馬懿の趙夫人のように、その才媛さを感じさせるエピソードが「父親が諸葛亮に劣らずの才媛だと言った」くらいしかないので、判断がはっきりとできない部分も大きいのです。しかし間違いのない事実として、彼女は諸葛亮の妻であった、という判断材料があります。
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美人説、不美人説は両方面白いが、賢さは折り紙つきでは?
諸葛亮の妻ともなれば、当然ながら相応の振る舞いが求められたことでしょう。また不仲であったという説もなく、寧ろ諸葛亮がその身命を賭して蜀という国を支えられたのは、ひとえに彼女、黄夫人の内助の功あってこそのものではないでしょうか。身分ゆえに記録として残されてはいなくても、寧ろ記録として残されないくらいに陰から夫を支えた、賢く、それでいてその賢さをひけらかさない女性だったのではないかと筆者は思います。
因みに美人説、不美人説は両方有り得て面白いと思いますが「赤毛で色黒」というエピソードから顔立ちには触れていないので、顔のパーツ的には整っていた、という説を推したい筆者でした。
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三国志ライター センのひとりごと
黄夫人、諸葛亮の妻という存在でありながら殆どその記録が残されていない状態の女性でもあります。しかし時代も時代、女性の記録は残されないのが常でしょう。その時代において、敢えて残すことなく、夫の影に寄り添った女性……だからこその賢い女性、というのが筆者の黄夫人のイメージなのですが。
それはそれとして色んなタイプの黄夫人が今後も創作されて欲しいな、とも思ってしまうのでした。どぼん。
参考:蜀書諸葛亮伝 襄陽記
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