樊城の戦いで樊城を守り抜いた曹仁、その補佐をしたのが満寵という人物です。
知っている人には知られている満寵はこの樊城の戦いだけでなく、後に合肥でも活躍していきます。そこで今回は満寵がどのような活躍を樊城でしたか、それと共に満寵がどのような人物かも簡単に紹介しましょう。
満寵の人柄は正しく、嫌われず
最終的に合肥の守護神になってしまう満寵ですが、その活躍の始まりは文官でした。言ってしまうと地方役人です。
しかし優秀な人材はどんな人物でも引き立てる曹操、満寵の評判を引いて自分の手元で働かせるようになります。そして満寵は更にその才能を発揮していくようになります。
「満寵は誰に対しても公明正大で法に厳しかった。しかし性格が傲慢ではなかったので人から疎まれることはなかった」
公明正大な人と言うのは他人から好かれません。しかし満寵という人物は人柄が良く、他の人物からも好印象を持たれる性格だったようです。
曹仁と共に樊城の守備を行う満寵
その満寵の活躍の場と言えば、やはり樊城です。関羽が攻め上がってきた時、満寵は曹仁と共に樊城の守備に当たっていました。
破竹の勢いで攻めてくる関羽、追い風が吹いているかのように急に振り出した大雨。援軍としてやってきた精鋭は敗北、龐徳は戦死、于禁は降伏。
更に水攻めが行われ…流石にこの状況で、気楽に構えられるはずがありません。流石の曹仁も撤退を考え始めましたが、それを止めたのが満寵です。
満寵は樊城が高い所にあるため水攻めされてもそこまで被害は出ない、被害が出る前に水は引くだろうと進言して曹仁を思い留まらせ、励まされた曹仁は徹底防戦を行います。
その後、満寵が以前説得して曹操の配下になった徐晃が援軍として駆けつけてくるというドラマティックな展開から関羽は撤退。樊城を見事に守り切った曹仁の活躍の陰でしっかり支えた満寵は、その後も活躍していくことになります。
張遼とはまた一味違った、合肥の守護神になった満寵
樊城の守備で更に名を挙げた満寵。彼は次にまた守備を任せられることになります。
そしてその場所は合肥。そう、あのウルトラ超人武将である張遼が呉軍と孫権にトラウマを刻みに刻んだあの土地です。張遼の刻んだトラウマは大きかったのか張遼が病気になって動けなかった時でさえ、孫権は合肥に攻め込みませんでした。
しかし孫権として合肥はやはり欲しかったのでしょう。孫権は合肥に攻め込みます。それも毎年。毎年攻め込むというのは当然ながら、毎年防衛されて追い返されているということです。
満寵の働きは張遼ほど荒々しく、トラウマを刻むようなものではありませんでした。ですが孫権があの手この手で攻め込んでくるのを、スマートかつシンプルに、それでいて的確に迎え撃って呉軍を撃退します。そうして五年間もの間、満寵は孫権から、呉軍から合肥の土地を守り続けます。
この功績から多くの三国志ファンから満寵は「孫呉キラー」と言われているとか、いないとか…は置いておくとしても、満寵は張遼とはまた違った合肥の守護神として名を馳せます。樊城の絶望的な防衛に比べれば、しっかりと準備もできる合肥の守備は満寵にとって容易いものだったのかもしれませんね。
実はこんな一面があった満寵
さてそんな満寵。
ここまでの印象を見ていくと公明正大ながら人に嫌われず、スマートな戦略眼を持った人物のイメージが付きそうな彼ですが、実はこんなエピソードも。彼は実は禰衡という人物に「お前は酒ではなく酒粕を食べていろ」と言われるエピソードがあります。
これだけだと意味が分からないですが、満寵は体格が良く大食いで、しかもお酒にめっぽう強かったとか。「世語」には「満寵は酒を一石飲んでも酔わなかった」という逸話が記載されています。
一石とは馴染みが薄いので分かりにくいですが、大体180ℓです。この凄い量のお酒を飲んでも平然としていた満寵、このため「どうせ酔わないんだから飲む酒がもったいない!」という意味でからかわれたのだと思いますが、これは何とも人間離れした…コホン、豪胆な新しい満寵のイメージが付きそうですね。
三国志ライター センの独り言
樊城の戦いで絶望的な危機を、曹仁を支えて守り切った満寵。
張遼亡き後、合肥の守護を受け継いだ満寵。優秀な武将が多すぎるためまだまだクローズアップされていない彼ですが、その凄さは本物です。ぜひとも彼の活躍を追いつつ、三国志を楽しんで下さいね。
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