中国には明代(1368~1644)に執筆された小説が幾つかあります。
その中でも顕著なものが、『三国志演義』、『水滸伝』、『西遊記』です。
『三国志演義』と『西遊記』は日本での認知度は高いので説明は不要です。
問題は『水滸伝』です。水滸伝は梁山泊という要塞に集まった108人の豪傑が悪人を退治する小説です。日本でも小説家の吉川英治や漫画家の横山光輝が作品として出していましたが、認知度は低めです。
ただし近年、北方謙三氏が小説を執筆したことにより一躍脚光を浴びました。ただし、北方氏が執筆したものは原作とかけ離れた内容です。そこで今回は原作『水滸伝』の主人公の宋江について、解説をしていきます。
この記事の目次
表はその日暮らしのアルバイター、裏ではヤ〇ザと通じる宋江
『水滸伝』の舞台は北宋(960~1127)の末期の第8代皇帝の徽宗の時代です。政治は腐敗して、悪徳役人が民をいじめていました。そんな時に、主人公の宋江は何をしていたかと言いますと……
田舎の県庁で書記官をしていました。
「?」が付くかもしれませんが、本当の話です。
また容姿もブサイク、肌は浅黒く、メタボリックシンドローム、自分には才能が無いと周囲には言う。「??」が付くかもしれませんが、本当の話です。
だが、民には優しいので出会ったヤ〇ザはみんな彼に対して頭を下げる。
「???本当に、この人は主人公ですか」と読書していた中学時代の私は疑いました。
だけど大人になって読み返すと、「そういうことですか!」と納得しました。
実は上記の宋江の姿は、自分がヤ〇ザと繋がっていることを隠すための表向きの姿だったのです。
悪徳役人を懲らしめたヤ〇ザ崩れの村長の晁蓋を、逃がした話がその証拠です。
喰えないオヤジだと思います。
愛人を殺して梁山泊へ
ところが宋江も、とうとう追われる身となります。
宋江には囲っていた愛人がいたのですが、そいつが晁蓋との関係を役人に通報すると言いました。
切羽詰まった宋江は、乱闘の末に愛人を殺害して逃げ出しました。
途中で山賊や役人に捕らえられたりしますが、なんとその人たちを仲間に引き入れて晁蓋のいる梁山泊に合流します。
みんな宋江の名前が出た途端、「今回の件は誠に申し訳ございませんでした」と謝罪会見です。
また、晁蓋もリーダーの座を宋江に譲ろうとするのですが、宋江はそれだけは固辞します。
「私は人徳ありません」とコメントしました。
これは突っ込んだら負けとなので、これ以上の議論はしません。
晁蓋が死んでリーダーになる宋江
梁山泊は強くて有名になったのでその後、様々な民兵・山賊・官軍から攻撃を受けます。
そのたびに宋江が出陣して手柄を立てるのですが、いつもお留守番させられたのはリーダーの晁蓋です。
晁蓋はリーダーシップを持っているだけではなく、武芸の腕もたちますので戦場で暴れたかったのです。
しかし宋江はいつも、「リーダーなので本拠地にいてください」と理由をつけて、彼を梁山泊に残していました。
仕方なく晁蓋はいつも我慢していました。
ですが、それも限界がきました。
ある日、民兵が攻撃をしかけてきました。宋江はいつものセリフで止めましたが晁蓋は「いや、今度こそ出陣する」と言いました。
結果は毒矢に当たり討ち死にでした。
晁蓋の死後、散々リーダーを固辞していた宋江でしたが、紆余曲折を経てリーダーとなりました。
宋江がリーダーになっても制度が変わった点はありません。
宋江が自ら戦場に出る点もです。
人には「出るな」と言いながら、自分はどうなんだと突っ込みたくなります。
朝廷に帰順・・・・・・でもみんなの意見はバラバラ
宋江には夢がありました。
将来、梁山泊を出て行って、みんなで朝廷に帰順することでした。
しかし、これに対して反対者が続出しました。
以下が主だった人たちです。
(1)林冲(りんちゅう)・・・・・・朝廷の高官に無実の罪に落とされ、奥さんも自殺に追い込まれた。
(2)楊志(ようし)・・・・・・朝廷の高官の賄賂を贈る仕事を2度も失敗。家は取り潰し。
(3)武松(ぶしょう)・・・・・・役人と連携した商人に兄を殺害される。自身も役人に殺されかけた。
(4)李俊(りしゅん)・・・・・・根がアウトローで宋江の提案に興味無し。
(5)李逵(りき)・・・・・・根がアウトローで宋江の提案に興味無し。
(6)魯智深(ろちしん)・・・・・・根がアウトローで宋江の提案に興味なし。
1番反対していたのは李俊でした。彼は物語終盤に複数の部下を連れて、宋江のもとを離れてしまいます。
しかし、これだけの反対があったにも関わらず、宋江は仲間を連れて朝廷に帰順しました。
ところが、朝廷にいた蔡京(さいけい)、高俅(こうきゅう)、童貫(どうかん)、楊戩(ようせん)の悪人は宋江たちを各地の反乱鎮圧に従軍させて、弱らせる計画を立てます。
散っていく梁山泊の仲間と宋江の死
悪人の計画通り、宋江たちは各地の反乱鎮圧にかかります。
最初は北方の異民族王国の「遼」(りょう)が相手となります。
次に河北の田虎(でんこ)、3番目は淮西の王慶(おうけい)、最後は江南の方臘(ほうろう)です。
3番目の王慶までは順調に倒しますが、最後の方臘は今まで相手にしてきた連中とは格段の差でした。
無敵であった梁山泊の豪傑たちは、次々と戦死していきました。
鎮圧には成功しますが、108人もいた豪傑は36人に減りました。
さらに脱退・病死が続出して、都に帰還すると27人になっていました。
宋江に待っていた現実は、これだけではありません。
反乱鎮圧の功績により、宋江たちは恩賞をもらいますが、仲間たちも役人としてそれぞれの任地に行きます。
つまり、お別れです。
恩賞をもらい、役人になった宋江は幸せな生涯を閉じました。
・・・・・・と言いたいところですが、物語はまだ続きます。
朝廷の悪人は宋江の存在が恐ろしいので、消さないといけません。
そこで皇帝からの差し入れと偽った毒酒を宋江に飲ませました。
毒を飲まされたと悟った宋江は、自分の側近の李逵を道ずれにして死にました。
これで『水滸伝』は幕を閉じます。
宋代史ライター晃の独り言
以上が、小説『水滸伝』の主人公の宋江の一生です。
前半は1人のヤ〇ザの姿で現実的なのですけど、後半はなぜか夢を語る危ないおっさんになっています。
彼は何がしたかったのでしょうか?
脱退した部下も彼のそんな姿に気付いて出ていったのかもしれません。
今回紹介したのは、小説の中の宋江です。
史実の宋江もいるのですが、これは別の時に語ります。
▼こちらもどうぞ