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[宋江の真実]水滸伝主人公、中途半端ヤ〇ザの謎!中学生向け解説


 

幕末 魏呉蜀 書物

 

中国には明代(1368~1644)に執筆された小説が幾つかあります。

その中でも顕著なものが、『三国志演義(さんごくしえんぎ)』、『水滸伝(すいこでん)』、『西遊記(さいゆうき)』です。

『三国志演義』と『西遊記』は日本での認知度は高いので説明は不要です。

 

宋江、史進、李逵、魯智深、林冲、武松、楊志(水滸伝)

 

問題は『水滸伝』です。水滸伝は梁山泊(りょうざんぱく)という要塞に集まった108人の豪傑が悪人を退治する小説です。日本でも小説家の吉川英治(よしかわえいじ)や漫画家の横山光輝(よこやまみつてる)が作品として出していましたが、認知度は低めです。

 

ただし近年、北方謙三(きたかたけんぞう)氏が小説を執筆したことにより一躍脚光を浴びました。ただし、北方氏が執筆したものは原作とかけ離れた内容です。そこで今回は原作『水滸伝』の主人公の宋江(そうこう)について、解説をしていきます。

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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表はその日暮らしのアルバイター、裏ではヤ〇ザと通じる宋江

李逵と宋江(水滸伝)

 

『水滸伝』の舞台は北宋(960~1127)の末期の第8代皇帝の徽宗(きそう)の時代です。政治は腐敗して、悪徳役人が民をいじめていました。そんな時に、主人公の宋江は何をしていたかと言いますと……

 

田舎の県庁で書記官をしていました。

 

「?」が付くかもしれませんが、本当の話です。

 

また容姿もブサイク、肌は浅黒く、メタボリックシンドローム、自分には才能が無いと周囲には言う。「??」が付くかもしれませんが、本当の話です。

 

だが、民には優しいので出会ったヤ〇ザはみんな彼に対して頭を下げる。

「???本当に、この人は主人公ですか」と読書していた中学時代の私は疑いました。

 

だけど大人になって読み返すと、「そういうことですか!」と納得しました。

実は上記の宋江の姿は、自分がヤ〇ザと繋がっていることを隠すための表向きの姿だったのです。

悪徳役人を懲らしめたヤ〇ザ崩れの村長の晁蓋(ちょうがい)を、逃がした話がその証拠です。

喰えないオヤジだと思います。

 

 

 

愛人を殺して梁山泊へ

水滸伝の主人公・ 宋江

 

ところが宋江も、とうとう追われる身となります。

宋江には囲っていた愛人がいたのですが、そいつが晁蓋との関係を役人に通報すると言いました。

切羽詰まった宋江は、乱闘の末に愛人を殺害して逃げ出しました。

 

途中で山賊や役人に捕らえられたりしますが、なんとその人たちを仲間に引き入れて晁蓋のいる梁山泊に合流します。

みんな宋江の名前が出た途端、「今回の件は誠に申し訳ございませんでした」と謝罪会見です。

また、晁蓋もリーダーの座を宋江に譲ろうとするのですが、宋江はそれだけは固辞します。

 

「私は人徳ありません」とコメントしました。

これは突っ込んだら負けとなので、これ以上の議論はしません。

 

 

晁蓋が死んでリーダーになる宋江

リーダーになった宋江は水滸伝の主人公

 

梁山泊は強くて有名になったのでその後、様々な民兵・山賊・官軍から攻撃を受けます。

そのたびに宋江が出陣して手柄を立てるのですが、いつもお留守番させられたのはリーダーの晁蓋です。

 

晁蓋はリーダーシップを持っているだけではなく、武芸の腕もたちますので戦場で暴れたかったのです。

しかし宋江はいつも、「リーダーなので本拠地にいてください」と理由をつけて、彼を梁山泊に残していました。

仕方なく晁蓋はいつも我慢していました。

ですが、それも限界がきました。

 

ある日、民兵が攻撃をしかけてきました。宋江はいつものセリフで止めましたが晁蓋は「いや、今度こそ出陣する」と言いました。

結果は毒矢に当たり討ち死にでした。

 

晁蓋の死後、散々リーダーを固辞していた宋江でしたが、紆余曲折を経てリーダーとなりました。

宋江がリーダーになっても制度が変わった点はありません。

宋江が自ら戦場に出る点もです。

人には「出るな」と言いながら、自分はどうなんだと突っ込みたくなります。

 

 

朝廷に帰順・・・・・・でもみんなの意見はバラバラ

宋江の夢(水滸伝の主人公)

 

宋江には夢がありました。

将来、梁山泊を出て行って、みんなで朝廷に帰順することでした。

 

しかし、これに対して反対者が続出しました。

以下が主だった人たちです。

 

(1)林冲(りんちゅう)・・・・・・朝廷の高官に無実の罪に落とされ、奥さんも自殺に追い込まれた。

(2)楊志(ようし)・・・・・・朝廷の高官の賄賂を贈る仕事を2度も失敗。家は取り潰し。

(3)武松(ぶしょう)・・・・・・役人と連携した商人に兄を殺害される。自身も役人に殺されかけた。

(4)李俊(りしゅん)・・・・・・根がアウトローで宋江の提案に興味無し。

(5)李逵(りき)・・・・・・根がアウトローで宋江の提案に興味無し。

(6)魯智深(ろちしん)・・・・・・根がアウトローで宋江の提案に興味なし。

 

1番反対していたのは李俊でした。彼は物語終盤に複数の部下を連れて、宋江のもとを離れてしまいます。

しかし、これだけの反対があったにも関わらず、宋江は仲間を連れて朝廷に帰順しました。

 

ところが、朝廷にいた蔡京(さいけい)、高俅(こうきゅう)、童貫(どうかん)、楊戩(ようせん)の悪人は宋江たちを各地の反乱鎮圧に従軍させて、弱らせる計画を立てます。

 

散っていく梁山泊の仲間と宋江の死

強引な梁山泊スカウト 秦明

 

悪人の計画通り、宋江たちは各地の反乱鎮圧にかかります。

最初は北方の異民族王国の「遼」(りょう)が相手となります。

 

次に河北の田虎(でんこ)、3番目は淮西の王慶(おうけい)、最後は江南の方臘(ほうろう)です。

3番目の王慶までは順調に倒しますが、最後の方臘は今まで相手にしてきた連中とは格段の差でした。

 

無敵であった梁山泊の豪傑たちは、次々と戦死していきました。

鎮圧には成功しますが、108人もいた豪傑は36人に減りました。

 

さらに脱退・病死が続出して、都に帰還すると27人になっていました。

宋江に待っていた現実は、これだけではありません。

反乱鎮圧の功績により、宋江たちは恩賞をもらいますが、仲間たちも役人としてそれぞれの任地に行きます。

つまり、お別れです。

 

恩賞をもらい、役人になった宋江は幸せな生涯を閉じました。

・・・・・・と言いたいところですが、物語はまだ続きます。

 

朝廷の悪人は宋江の存在が恐ろしいので、消さないといけません。

そこで皇帝からの差し入れと偽った毒酒を宋江に飲ませました。

毒を飲まされたと悟った宋江は、自分の側近の李逵を道ずれにして死にました。

これで『水滸伝』は幕を閉じます。

 

宋代史ライター晃の独り言

三国志ライター 晃

 

以上が、小説『水滸伝』の主人公の宋江の一生です。

前半は1人のヤ〇ザの姿で現実的なのですけど、後半はなぜか夢を語る危ないおっさんになっています。

 

彼は何がしたかったのでしょうか?

脱退した部下も彼のそんな姿に気付いて出ていったのかもしれません。

 

今回紹介したのは、小説の中の宋江です。

史実の宋江もいるのですが、これは別の時に語ります。

 

▼こちらもどうぞ

【水滸伝】こいつらが憎っくき悪役達だ!!

 

 

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晃(あきら)

晃(あきら)

横山光輝の『三国志』を読んで中国史にはまり、大学では三国志を研究するはずだったのになぜか宋代(北宋・南宋)というマニアックな時代に手を染めて、好きになってしまった男です。悪人と呼ばれる政治家は大好きです。
         好きな歴史人物:
秦檜(しんかい)、韓侂冑(かんたくちゅう)、 史弥遠(しびえん)、賈似道(かじどう) ※南宋の専権宰相と呼ばれた4人です。
何か一言: なるべく面白い記事を書くように頑張ります。

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