諸葛亮の武器といえばまずはその頭脳。そして多くの人が想像する諸葛亮の武器といえば、そう、羽扇ですね。一説にはこれでしゃっしゃっほぅ!と敵をなぎ倒しつつビームを撃つなどしているという話を聞きます。しかしそれはそれとして、この諸葛亮の羽扇という存在、どこから出てきたのでしょうか?更に今回は「どうして諸葛亮といえば羽扇を持っているのか」についても、考えていきたいと思います。
この記事の目次
孔明が良く持っているものは何?
さて、良く諸葛亮の持ち物とされていることが多い存在。そしてそれを手に持ち数々の奇策を発揮して敵をなぎ倒していくその存在。これは羽扇ですが、これは元は初学記二十五巻に引く「語林」にて「羽扇を手に軍を指揮した」という描写があり、そこから三国志演義でよりイメージが確固となったものでもあります。なので、元から考えると諸葛亮の持っているものは羽扇で間違いないと言って良いでしょう。
羽扇ってどういうもの?意味や読み方は?
では羽扇とは何か、というと、うちわです。羽扇という名前の通り、鳥の羽を主に使用して作られたもので、基本的に仰ぐと壊れます。現代のうちわと呼ばれるものは、竹や木材、もしくはプラスチックなどを使用して、更には紙で作られており、強度も昔のものとは比べ物にならないものとなっているようです。因みに『うせん』、もしくは『はねおうぎ』、と読みます。羽扇子となると、『はねせんす』、という読み方をするようですね。
諸葛亮が何でうちわなんか持ってるの?暑がりさん?
それでここで諸葛亮。どうして諸葛亮が羽扇を持っているのか……実は暑がりだったからどこでも羽扇が手放せなかったのか……そうではありません。前述したように諸葛亮はイメージとして羽扇を持たされているところが大きいですが、これも前述したように昔の扇というのは自分でそれを手に持ち、仰いで涼しむための目的ではありませんでした。扇とは「はらう」もしくは「「かざす」ためのものであったのです。
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諸葛亮が団扇を持たされている意味
ここで三国志演義の諸葛亮を思い浮かべてみてください。よく言われますが、三国志演義での諸葛亮はほぼ「仙人」のような存在です。奇策軍略にも優れていますが、赤壁の戦いとかはどちらかというと人外めいた能力を感じますね。そして扇子は元々は、儀式や祈願などによって用いられるものだったのです。このことから、諸葛亮が羽扇を持たされているのは、より「人より卓越した存在」であるイメージが大きいのではないかと考えられます。
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それじゃあ「軍扇」とは?どういう意味があるの?
ここいらで軍扇、軍配団扇の話をしましょう。軍配とも呼ばれるこの扇、戦国時代などを取り扱ったドラマなどで見たことはないでしょうか。これは嘗て、武将が戦の指揮に用いたと言われています。ではなぜ用いたかというと、基本的に当時の人々は吉兆を非常に気にするタイプだったということです。このためにゲン担ぎ、勝利祈願、吉兆占い……そう、扇と同じく、儀式や祈願のために軍扇は用いられたのです。
戦は命がけです。本人の命だけでなく、率いた人物の国、民、家族など、色々な命運がかかっていました。このため、諸葛亮が羽扇を携帯していた可能性も高く、そこから諸葛亮のイメージとして「祈祷」があることもあって、諸葛亮が羽扇を持っていることで周囲に「安心感」を与えていたとも考えられます。
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諸葛亮と羽扇のおもしろエピソード
諸葛亮と羽扇の話ですが、面白い話をご紹介しましょう。諸葛亮の羽扇は、元は諸葛亮が退治した怪鳥の羽でできているというのです。この怪鳥を倒したことにより、諸葛亮は未来さえもを見通す力を授かりました。そしてその証として、羽扇を手に持つようになったというのです。
……これだと、ではどうして五丈原で……という話になってしまいますが。しかしそれならば「例え未来が分かっていたとしても」という諸葛亮の姿と見てみると、何だか熱いものがこみ上げてきますね。怪鳥のエピソードはあくまで伝承でしかありませんが、そういう意味で羽扇を持つ諸葛亮も良いと思いますね。
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扇で終わる四字熟語って何かある?
では、ちょっとここで豆知識を。扇で終わる四文字熟語に、夏炉冬扇、という言葉があります。かろとうせん、と読みまして、読んでそのまま、夏の囲炉裏に冬の扇ですね。時季外れの無駄なもの、転じて、役に立たないものを意味します。
……もしも、諸葛亮の羽扇が本当に怪鳥のものであったとして。そしてその羽扇と未来を見通す力を持って、諸葛亮が最後の戦いに臨んでいたとしたら。もしやそれらは既に、諸葛亮からすれば何の意味もなかったものではないか。そんな益体もないことを考えてしまう筆者でした。
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三国志ライター センのひとりごと
基本的に、軍を指揮する者たち、それなりの立場の者たちは羽扇のようなものを持っていたそうです。そもそも、羽扇のイメージは周瑜だった、とも言われてもいますね。それだけに、ゲンを担ぐというのは、当時は大事なことだったのです。
個人的には、諸葛亮が運頼み祈祷頼みとは思わないので、周囲への配慮で会った方が「らしい」と思いますね。涼を得るのではなく、良を得るためのもの。そういう羽扇の持ち方をしていたらいいな、と感じました。どぼん。
参考:蜀書諸葛亮伝 三国志演義
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