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揚州の問題児・山越族の隠された[歴史]

2024年4月18日


異民族

 

 

島国に住む私たち日本人には考えられないことですが、中国に建てられた歴代王朝の多くは国境を接する異民族に対して常に警戒をし続けていました。周王朝は西方の犬戎(せいじゅう)に悩まされた挙句に滅ぼされ、漢王朝は北方の匈奴(きょうど)と盟約を結んでは破り破られを繰り返し、その後も数多くの王朝が異民族と争いを繰り広げたのでした。

 

呉志(呉書)_書類

 

そんなわけで、中国史を語る際には無視できない存在である異民族たち。三国時代にも数多くの異民族が漢民族を取り巻くようにひしめき合っていましたが、呉国の領土に組み込まれた揚州にも異民族の姿がありました。それこそが山越族(さんえつぞく)です。

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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袁術、ド田舎・揚州に閑居す

袁術、孫堅(犬)

 

董卓(とうたく)軍として共に戦った袁術(えんじゅつ)袁紹(えんしょう)ですが、袁術の配下・孫堅(そんけん)が董卓を洛陽から長安まで敗走させた後両者の関係にひびが入る出来事が起こります。袁術が孫堅を豫洲刺史に任命したというのに、袁紹が周喁(しゅうきん)を豫洲刺史として豫洲に派遣してきたのです。当然一触即発で戦争が勃発。これにより反董卓連合は空中分解し、群雄割拠の時代が訪れたのでした

 

 

袁術、ド田舎・揚州に閑居す

 

 

袁術は豫洲で袁紹勢力と争った後、今度は荊州の劉表(りゅうひょう)にけんかを吹っ掛けます。これを見た袁紹は劉表と手を組み、曹操もこれに乗っかりました。その結果袁術は惨敗。本拠地だった南陽郡を捨てて揚州に逃げ延びたのでした。しかし、この揚州、当時はとんでもないド田舎だったのでした。

 

 

袁術が来てから漢民族が増えたけれど…

三国志のモブ

 

宋代以後、「江浙熟すれば天下足る」なんていう言葉が流行りますが、袁術が逃げ込んだ当時の揚州すなわち長江下流域一帯の地域はド田舎もド田舎、それも山の中には山越族とかいう謎の異民族たちが住みついていてとても安心して暮らしていける場所ではありませんでした。

 

 

メタ認知について学ぶ袁術

 

 

しかし、山越族にとっても袁術をはじめとする漢民族は言ってしまえばエイリアン。なんか最近平地の人間が増えたなとは思ったけど、自分たちの住処にまで侵略しかねない勢いではないか!山越族も続々と増える漢民族に恐れを抱いていたのでした。

 

 

孫策、袁術が北の方に気をとられているうちに南に進出

孫策と孫堅の海賊

 

袁術はよくわからない蛮族がウヨウヨいる揚州に根をおろすつもりなど毛頭無く、何とかして中原に返り咲かんと考えていました。そんなわけで揚州の南側については孫策(そんさく)に任せきりにして自分は劉備(りゅうび)を滅ぼして徐州を奪わんと奮闘します。

 

 

怒る袁術

 

 

しかし、奪えそうで奪えない徐州に袁術もイライラ…。袁術がモタモタしているうちに孫策はあっという間に南を平らげて江東の支配を宣言。孫策は念願かなって袁術からの独立を果たしたのでした。

 

 

山越族が倒せない…!?

山越族が倒せない

 

江東を強大な軍事力によってあっという間に平らげた孫策でしたが、その強引なやり方によって人々の恨みを大量に買ってしまったのでした

 

キレる孫策

 

 

孫策に恨みを抱いた人々の中には当然山越族の姿もありました。彼らは孫策を揚州から追い出そうと度々反乱を起こしますが、孫策はこれをやはり軍事力によって抑えつけようと粛清に乗り出します。しかし、山越族の粛清は一筋縄ではいかず、さっさと江東を鎮めて中原に繰り出したい孫策をイラ立たせました。

 

ほっぺたに矢を受ける孫策

 

結局孫策は食客の襲撃を受けて志半ばで命を落としてしまいますが、孫策亡き後も江東では山越族による反乱は絶えずその後を継いで70歳近くまで生きた孫権(そんけん)が崩御した後までも続いたのでした

 

 

あの曹操も山越族の恨みを利用

あの曹操も山越族の恨みを利用

 

 

数十年経っても孫家への恨みを抱き続けた山越族。元々揚州は自分たちのものだったのに、いきなり現れたかと思ったら全てを奪い去っていった孫家への恨みっぷりは凄まじいものだったようで、その恨みパワーは曹操(そうそう)の目に留まります。これを利用しない手はないと考えた曹操は山越族の頭目であった費桟(ひさん)尤突(ゆうとつ)に印綬を授け、孫権に対して反乱を起こすようにけしかけたのでした。

 

 

曹操

 

 

曹操にとって彼らを利用することにはメリットしかありません。勝ってくれたら最高ですが、負けてしまっても自軍へのダメージはゼロですからね。

 

 

呉と共に消えた山越族

呉と共に消えた山越族

 

 

呉への恨みによって一致団結していたイメージの山越族ですが、そのほとんどは早いうちに孫家に帰順し、漢民族と同化していました。時代が下るにつれて孫家を恨んでいた山越族もどんどん恨みを忘れて漢民族と同化。最終的に呉王朝が晋に呑み込まれると、山越族も歴史の舞台から姿を消しました

 

 

三国志ライターchopsticksの独り言

三国志ライター chopsticks

 

呉と山越族とは一蓮托生の関係だったのかもしれません。

 

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清朝考証学を勉強中。 銭大昕の史学考証が専門。 片田舎で隠者さながらの晴耕雨読の日々を満喫中。 好きな歴史人物: 諸葛亮、陶淵明、銭大昕 何か一言: 皆さんのお役に立てるような情報を発信できればと思っています。 どうぞよろしくお願いいたします。

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