三蔵法師とその一行の目的と言えば、天竺(てんじく)まで、有り難いお経を取りに行く事だと、皆さんは思っているのではないでしょうか?
しかし、実は、お経取得は、西遊記の本当の目的ではありませんでした。西遊記には、真の目的があり、それが多くの二次作品や西遊記にインスパイアされた物語が出来た理由なのです。
この記事の目次
西遊記は大昔のRPGだった!
皆さんは、RPGというゲームのスタイルをご存じですか?
ロールプレイングゲームとよばれる、この形態のゲームは、当初、主人公はレベル1という最弱の状態から始まります。もちろん、所持金も少なく、手持ちの武器や防具も貧弱、城から一歩でれば、最下級の雑魚モンスターにも、ようやく勝てるという程度の強さです。
しかし、RPGには経験値という項目があり、これを溜めると、少しずつ強くなったり、魔法が使えたりします。ゲームによっては、進行によって、仲間が入ったりしてパーティープレイになり、最初は苦しかった闘いも楽になります。
そうすると、城の周辺のモンスター相手では物足りなくなるし、経験値も少ししかもらえないので、必然的に、遠くの土地、より強いモンスターや難しいクエストがある場所へ移動します。
こうして、自分が強くなるに従い、敵や謎も手強くなり、ゲームをクリアした時には、成し遂げたという達成感が産まれます。実は、西遊記は、こういう人の心理を利用した物語なのです。
登場人物は欠点だらけの西遊記
さて、上記のRPG理論を踏まえて西遊記を見てみると、その登場人物は、欠点だらけであるという事が分かります。
三蔵法師は、徳の高いお坊さんですが、武力はゼロに等しく、妖怪を倒す魔法が使えるわけでもありません。しかも、弱虫で、お人良し、呆れる程に他人を信じやすく、妖怪に騙されて、さらわれたり、計略にハマって悟空を破門したります。はっきり言って、パーティープレイでは足手まといです。
猪八戒は、一応、武力はありますが、大喰らいで女に弱く、ナマケモノ、しかも、いつも不満ブーブーで悟空の悪口を三蔵法師に吹き込み、パーティーの仲を壊します。
沙悟浄は、原作では、三蔵法師を守る役まわりで、喧嘩ばかりする悟空と八戒の仲裁役ですが、武力は余りなくパーティーの戦力になっているとは言えません。
孫悟空は、三蔵法師一行では、強力な武力を持っていますし、沢山の妖術も使えるのですが、短気で自分勝手、三蔵法師に叱られると癇癪を(かんしゃく)を起して故郷に帰るなど、協調性と忍耐力という、メンタル面が、子どものようなタイプです。
そう、RPGの最初のように、三蔵法師一行も欠点だらけなのです。
取経の旅は、三蔵法師一行の魂の成長を促すおまけ
しかし、実は、これこそ観音菩薩(かんのんぼさつ)の狙いでした。長い、長い、天竺までの旅の途中で、妖怪に襲われたり、頼みごとをされたりするのを、乗り越える事で、三蔵法師一行が、お互いの欠点を補い助け合う事を学び、生物的に成長する事を望んでいたのです。
また、そうして、他人への思いやりを会得した上でないなら、天竺まで辿りついて、経典を手にいれても、それを真に理解したとは言えないのだと考えていました。
例えば、物語の最初で孫悟空は、三蔵法師に、
「わざわざ歩かなくても、天竺まで筋斗雲で、ひとっ飛びに飛べば、お経はすぐに取って来れる」
と主張しますが、それは三蔵に止められます。苦労をして、長い旅をしないと、お経の真の意味は分からない三蔵法師は、そのように観音菩薩に言われていたからです。
登場する妖怪は、大半、太上老君や観音菩薩のペットという自演ぶり
さらに、天竺までの道のりで遭遇する妖怪の類は大半、観音菩薩や、太上老君が仕込んでおいた自作自演でした。その困難は全部で九×九で、八十一存在し、全てを乗り越えると、天竺まで辿りつき、お経が取得できる裏設定になっていました。
その自作自演は、手が込んでいて、人を吸い込む瓢箪でお馴染みの金角大王(きんかくだいおう)と銀角大王(ぎんかくだいおう)は、太上老君(たいじょうろうくん:老子)の炉の番人。
霊感(れいかん)大王の正体は、観音菩薩が飼っていた金魚。
獨角兕(どっかくじ)大王は、太上老君の乗る牛が正体、
賽太歳(さいたいさい)大王も、観音菩薩の乗物のペットが正体でした。
それらは、主人の目を盗んで逃げた設定ですが、神や仏である太上老君や観音菩薩が、うっかりなんてある筈もなく明らかに、三蔵一行を邪魔させる自作自演なのです。
外にも、普賢菩薩(ふげんぼさつ)や文殊菩薩(もんじゅぼさつ)と言った、天界の錚々たる大物が、うっかり逃がした霊獣が、三蔵法師一行の前に立ちはだかり、お経取得を妨害しまくります。彼等が加担しなければ、もっと天竺旅行は楽だった事は、100%間違いないのですがそこは、決められた八十一の試練です。不満は言わずに乗り越えないといけないのです。
西遊記は人類普遍のテーマを扱う
不完全で未熟な人間が、集まり、喧嘩したり力を合わせたりして、大きな目的を成し遂げるのは時代を問わない人間の好むテーマです。
後世のクリエイターは、西遊記にインスパイアされ、西遊記の亜流になる、多くの物語を世に送り出していきます。人は一人では生きられないから、仲間を必要とするけど、それぞれに個性があり、衝突したり励まし合ったり、慰め合う。西遊記のお話は、恐らく人類が存続する限り、様々なアレンジを加えながら、無数に産まれていくでしょうね。
西遊記ライター kawasuoの独り言
西遊記には、天竺まで行き、お経を取ってきて万民を救うという大きなというテーマ、デコボコの個性豊かな登場人物が、喧嘩したり、助け合いながら成長する人間ドラマの要素、そして、妖怪変化と戦う冒険要素が織り込まれています。
これは、洋の東西のデザインを問わずRPGに共通する要素なのです。いわば、RPGは全て、西遊記の亜流とも言えるでしょうね。本日の「はじめての西遊記」は、ここまで、続きは次回のお楽しみ。カチカチカチ・・
時代を超えて愛される中国四大奇書「はじめての西遊記」