募集期間:2022年8月(1週間)
劉備が築いた国、蜀漢。魏への対抗を込めての国としての成り立ちから「蜀」と名乗りつつも、住んでいる人々は「漢」として国で過ごしていたと言います。今回のアンケートはそんな「蜀漢の代表的人物(孔明除く)?」となっております。
皆さんが選んだのは一体どなたか……その他で挙げられているメンバーまで、蜀漢好きな皆さんの熱い想いが込められていました。
蔣琬
「全員代表格になってもおかしくないから正直難問だった。特に蒋琬と姜維は迷う」
引用元:はじめての三国志TV
コメントは敢えて蔣エンで取り上げさせて頂いています。さて蔣エンは当初、劉備によって広都県の長に任ぜられるも、仕事をせずにお酒を飲み耽っていたとか。怒った劉備が処刑しようとして、それを庇ったのが諸葛亮。
その後は劉備亡き後の蜀で良く諸葛亮を支えるだけでなく、北伐の間は留守を守り、その没後は後継者として国を支え続けた一人です。諸葛亮の政治手腕は高く評価されていますが、それを支えた存在として蔣エンがいたのは間違いないことでしょう。
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姜維
「蜀漢最後の英雄にして真の武人だった姜維」
「姜維。彼の死は蜀の最期そのものだった(大学の卒論のテーマを姜維の北伐にしたこともあって感情移入気味)。「我が計敗れたり。則ち天命か」
「この中では姜維。他にも候補はいるだろうが彼は日本で言う真田幸村みたいな人物だと思う」
引用元:はじめての三国志TV
姜維に対するコメントは数多くありましたね。蜀漢最後の英雄、そして同時に、三国志の終わりを感じさせる武将の一人ではないでしょうか。諸葛亮の遺志を継ぐかのような北伐に北伐を重ねるその姿勢、ある種の執念を感じさせる姿。
その姿に多くの人が感動を覚えたと思います。北伐に関しては色々な意見もあるかと思いますが、それでも姜維の戦いは熱いものがこみ上げてきますね。
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費禕
費イに関してはコメントこそ見受けられませんでしたが、費イもまた蔣エンや姜維と共に末期の蜀を支え続けた人物であると思われます。特に費イは尚書令として多くの仕事を捌きながら、外交官としても特に優れ、後任の董允が驚くほどの仕事を熟していたことでも有名ですね。
他人を信用しすぎたというか、少々脇の締め方が甘かった、という最期を迎えていますが……しかし費イほどの人材がいても滅亡は逃れられなかった、蜀漢の悲哀をも体現している存在だったと思います。
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魏延
「魏延です、イチローを理解する監督が現れて覚醒した様に、魏延を理解する軍師がおられたら」
「なんやかんや言っても、孔明や関羽、張飛、趙雲なんかと同じくらい劉備に対しての忠誠は強かったと思う。
なのに反逆者の立場に追い込まれてしまって。彼の手綱を握れるような人物がいないっていうのが、やっぱり蜀漢の人材の層の薄さを表してるんだろうな。と個人的には思います」
引用元:はじめての三国志TV
魏延もまた、多くのコメントを見ることが出来ました。姜維や蔣エン、費イに比べると、どうしても最期の最期で惜しさを感じてしまう武将です。しかし、劉備在命時の魏延の忠義、働きは決して輝きを失うものではありません。
コメントにもありますが、どうにも同僚(主に楊儀や楊儀……)との衝突、同時に諸葛亮ともややそりが合わなかったのが魏延の悲劇でしょうか。そう思うと、魏延を使いこなすことができた劉備、やはり稀代の傑物であった……と、再確認できますね。
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その他
「王平に1票 猛将と呼べる人がいなくなった後もよき指揮官として各戦いを生き抜いた歴戦の将って感じで」
「現代でも「泣いて馬謖を斬る」と言う成語が存在しているので、馬謖で」
「蜀侵攻、定軍山の戦による漢中の奪取、ゆえに漢中王を名乗ることができた立役者の法正に一票!」
「董允の土臭さが蜀漢の忠臣らしくて一票」
「蜀漢の武将だから,「もともとは劉璋配下の武将で,後に劉備に仕えた」って武将が良いかな,とおもったので,地味な印象だけど「呉懿」.蜀帝の外戚にもなったけど,悪い話聞かないし」
「趙直さんです」
「意外に地味な譙周ではないかと思います」
引用元:はじめての三国志TV
さて、最後はその他で一気にご紹介させて頂きました。どれもこれもただただ頷いてしまい、どうにも今回は選びきれず、並べてご紹介のパターンです。こう見ていくと、蜀漢の末期、その中でも決して人材がいない、という訳ではなかったことも分かります。
蜀漢にも、優秀な武将たちが多く集っていたのです。多くの武将たちが、自分たちの国を守るため、必死であったことも改めて分かるかと思います。その上で、敢えて最後に述べさせて頂こうと思うのです。
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三国志ライター センのつぶやき
さてその他、で数々の武将をご紹介させて頂きつつも、最後にこちらのコメントをご紹介させて頂きましょう。
「こう考えると、蜀の人材の少なさよ・・・(孔明除く)だと、「えっ、と…」ってなってしまう」
引用元:はじめての三国志TV
そう、その他でも述べましたが、末期の蜀漢において、人材がいなかった訳ではありません。それでも、少ないと感じる。それは、既に魏という大国があったから。そして魏という大国こそが、蜀漢の敵であったから。国は滅びる時には、滅びるもの。
どれほど手を尽くしても、その運命は変わらないのか。……そんな悲哀を覚えつつ、今回は示させて頂きたいと思います。どぼーん。
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