良くも悪くも、三国志で一番取り上げられる男、曹操孟徳(そうそう・もうとく)。
はじさんでは、詩のパクリ疑惑や未亡人好き疑惑、健康オタク疑惑や、貧乏症疑惑など、多くの曹操のゴシップを暴いてきました。そこで、今回は目線を変え、曹操さんのお屋敷を紹介したいと思います。
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意外に知られていない、曹操の屋敷の前にある闕(けつ)
三国志の時代、宮廷や貴人、豪族の建物の前には、闕(けつ)と呼ばれる櫓がありました。古くは観(かん)と言いましたが、そのものズバリで、外部からの来訪者を観察する為の建物で、木材や石で造られていたようです。
詳しくは、イラストを見ていただきたいのですが、闕は、メインの建物と左右の櫓から構成されています。左右の櫓には、橋が渡されているケースもあり、門番はここを往来しながら、怪しいヤツがこないか監視していたようです。
曹操が禰衡を見て激怒したのも、この闕
さて、史実では、曹操が孔融(こうゆう)の推挙で、天下の奇人で全裸マニアの禰衡(でいこう)を自分の屋敷に招待するのですが、やってきた禰衡は、世にも汚らしい格好でやってきて、曹操の罵詈雑言を並べたようです。
それを闕の門番から聞いた曹操は、まさか禰衡とは思わず、左右の闕に登って見てみると、果たして、目一杯買いかぶりをしていた禰衡だったので、夢は一瞬で覚め、殺すのも名折れと紹介状つきで劉表(りゅうひょう)の所に送り届けています。
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闕を守る門番は、箒(ほうき)を持っていた
さて、この闕を守る門番は、箒を持っていた事が壁画や煉瓦に描かれた絵で分かっています。どうして、闕の門番が箒を持っていたかと言うと、位の高い人が訪問した時に、門を開いて、道を掃き清めるという習わしがあったからなのです。彼等は、普段は箒を逆さにして持ち、闕の前に造られた詰所のような所で立っていたようです。
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