三国志は今から二千年近く昔の歴史ですので、なかなか遺跡が残っていなくて残念です。
また主要な遺跡も、アクセスのよい現在の大都市からわりと離れている場所にあったりするため、
三国志の遺跡ツアーなどに参加しないと、巡るのは大変です。
しかし、やはり歴史好きとしては、
実際の地をこの足で踏みしめ、その土地の空気を吸ってみたいと思うものです。
この記事の目次
女性歴史ライター東方明珠、私が中国に行く理由
中国旅行というと、言葉の問題やトイレ・衛生事情などでハードルが高いイメージがあります。
そこで、その困難さを払しょくすべく、
中国語もろくに話せない女が度胸で行ってみた体当たり旅行記を
恥ずかしくも披露し、
みなさまに中国旅行をおすすめしてみたいと思います。
しかし、本当にヘタレすぎて、ろくでもない話しかありません。
こんな奴でも行かれるんだ~、と笑って中国旅行をぜひ企画してください。
三国志の都、洛陽
洛陽は北に黄河、西に山地を控えた、交通や軍坊の要地です。
古来より、西の長安とともに、様々な王朝の首都として栄えました。
洛陽は、東周・後漢・魏・西晋・北魏などの九王朝が
都をおいたことで、「九朝の古都」とも呼ばれます。
漢・魏時代の洛陽は、現在の洛陽市街地よりもっと東でした。
市街地からポプラ並木のおいしげる農村地帯をずっと東へ行くと、
漢・魏洛陽城址があります。
現存するのは、かつての洛陽城の西壁の一部のみで、畑の中に
数メートルの土塁が残っています。
また、漢・魏洛陽城址には古井戸もあります。
孫堅が伝国の玉璽を拾ったのも、こういう井戸だったのでしょうか。
また、洛陽には、世界三大関帝廟の一つ、関林廟があります。
世界三大関帝廟の一つ、関林廟
敷地面積は12万平方メートルもあり、見回るのに2時間はかかります。
明清時代の建築物が中心ではありますが、漢代の石碑なども残っています。
廟の背後には、関羽の首塚もあり、関羽をしのぶ絶好のスポットです。
関連記事:なぜ関羽は神様になったのか?……忠義神武霊佑仁勇威顕関聖大帝
マイナス20℃の世界へようこそ
さてここからが、私のへなちょこ旅行記です。
洛陽旅行は、中国語が堪能な友人(女性)と一緒でした。
そんなわけで、なんの憂慮もなかったはずなのですが……。
行った時期がいけませんでした。
1月に行ったのですが、気温がマイナス20℃でした。
天気は吹雪……。
それでも雪国というのは、バスとか車とか、普通に走っているので
なんとかバスに乗って関林廟、そして龍門石窟へ行ってきました。
関林廟は前述のとおり、三国志関連の遺跡です。
龍門石窟は素晴らしかった
龍門石窟は、中国四大石窟のひとつで、北魏時代から唐時代まで栄えた仏教遺跡です。
最高に素晴らしい仏教美術を満喫しましたが、寒すぎました。
ト、トイレがないよー(涙
龍門石窟内では、雪かきが間に合わないのか、一部雪で通れない場所もあり
お手洗いが見つからず、付近にある「龍門石窟研究中心(センター)」で
お借りしました。すみません。勝手に入りました。
不審者二名は私たちです。
さて。宿泊先ですが、大雪の中、歩き回るのは得策ではないと考え、
洛陽駅周辺の宿を探しました。
とにかく屋根があればなんでもいいやと思っていたのですが、
これが大きな間違いでした。
暖房器具がほとんど効かず、室内も大変寒かったのです。
あまりの寒さに眠れないので、駅の売店で白酒を買ってきました。
中国でお酒というと、この白酒になります。
アルコール度数は50度近くあります。
友人と共に、これを一気にあおって、倒れるように眠りました。
……翌朝、風邪をひいて高熱を出しました。
洛陽博物館と洛陽牡丹大酒店
二日目は、洛陽博物館へ出かけました。
青銅器や陶器など多くの文物が展示されており、中でも唐三彩の輝きは本当に美しかったです。
しかし私はここで人生初、旅行中に高熱のため倒れました。
友人に支えられ、洛陽市内で一番高級なホテル、洛陽牡丹大酒店へ行き、カフェで休むことにしました。
牡丹は洛陽の花
4月の洛陽は牡丹が咲き乱れて、とても美しいそうです。
次に洛陽を訪れるときは、絶対4月にしようと心に決めました。
また、ホテルは妥協しないでいいところを選んだ方がいいという教訓を得ました!
洛陽ちょっといい話
へなちょこすぎる旅行記にも、ほんわかと心あたたまるエピソードがあります。
洛陽からの帰り、寝台列車で上海まで帰ったのですが、その日もまだ、私は高熱でふらふらしていました。
洛陽駅でりんごを売っている方がいて、りんごくらいなら食べられるかもと思い、一個くださいと言ってみました。
「そういう売り方はしない!」
と怒られました。
中国では、野菜や果物は量り売りなのです。(スーパーとかは違いますが)
普段であれば、私も「それなら〇〇グラム」と言い直したと思いますが
熱のために心が折れていたので、
「でも私りんご一個しか食べられない……」
としょんぼりしてしまいました。
すると、りんご売りのおじさん(お兄さんだったか不明?)は、
よれよれの私を見て哀れに思ったのだと思います。
「じゃあ一個やるから、もってきな!」
と投げてくれたのです。
「あ、でも、お金」と、もたもたしているうちに
電車の発車時刻になってしまい、別行動していた友人が呼びに来ました。
りんご売りの方は
「保重!(おだいじに)」と言って、去って行ってしまったのです。
残念すぎる洛陽旅行でしたが、最後にとても素敵なあたたかい
思い出が出来ました。
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