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ブサメン軍師、龐統(ほう統)|鳳雛と呼ばれたホウ統

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諸葛孔明

諸葛孔明は若くしてその才が周囲に認められながら、仕える君主に恵まれず、長らく不遇をかこっていました。

そのことから孔明は『臥龍(がりゅう)』……伏せた龍という二つ名を得ています。

 

孔明と同様に劉備に仕えた軍師に龐統(ほうとう)がいます。

 

彼もまた孔明と同様、才に長けた人物でしたが、周囲から評価されず、そのことから『鳳雛(ほうすう)』……

鳳凰のヒナという二つ名を与えられています。

 

臥龍と鳳雛……

 

孔明と並び称される程の才覚の持ち主でありながら、早くに戦死してしまった、この龐統とはどのような人物であったのでしょうか?




最初は劉備に嫌われていた?

龐統 ガチャポン

 

若かりし頃の龐統は周囲から過小評価を受けていました。

それは龐統が身なりの冴えない人物であったからであると言います。

『三国志演義』では、色黒で太いゲジ眉、おまけに鷲鼻という醜男として描かれています。

 

実は劉備も、龐統の見た目を嫌い、彼を軽んじた一人でした。

龐統は劉備に仕えますが、劉備は彼を閑職に追いやって遠ざけてしまいます。

龐統はそのことが不服で仕事をサボり、それを知って怒った劉備は彼を一端はクビにしてしまいます。

 

 

龐統と旧知の中であった呉の魯粛はこの顛末を聞き、劉備に手紙を送ります。

その内容は「龐統は与えられる仕事が大きくなるほど、その才能を発揮する人物です」というものでした。

 

さらに孔明のとりなしを受けた劉備は致し方なく龐統を呼び出し、一晩語り明かします。

ようやく龐統の才覚を理解した劉備は、彼を孔明と同じ役職に抜擢しました。




劉備の入蜀に尽力するも戦死

龐統と的盧

 

荊州を勢力下に置いた劉備は、孔明を荊州に残して守らせる一方、自身は益州(蜀)攻略に向かいました。

実は当初、劉備は益州攻略には乗り気ではありませんでした。

それは石州を収めている人物、劉璋が劉備と同じく漢王朝の末裔であり、つまり劉備自身とは同族に当たる人物であったためでした。

 

この劉備の優柔不断を諌めたのが龐統です。

その言葉に劉備は益州攻略の決心を固め、龐統を軍師として同行させました。

 

益州攻略に当たり、龐統は三つの作戦を立案、速攻で益州の都の成都を突く作戦を上策とします。

しかし劉備はこの上策を取ることを避け、敵将を騙して兵を奪ってから成都を目指す別の案を採用しました。

 

龐統の作戦通り、劉備は龍勝配下の将軍を騙し討ちにして戦果をあげます。

しかし成都の前にある雒城(らくじょう)の最中、龐統は流れ矢に当り、36歳の若さで戦死してしまいました。

劉備は龐統を失ったことを悲しみ、思い出す度に涙を流したと言います。

 

龐統が戦死したとされる場所には、後の時代に『落鳳坡(らくほうは)』=鳳凰が落ちる場、という地名が与えられています。

三国志演義では『落鳳坡』という地名に龐統が嫌な予感を感じ、その予感が的中してしまうという顛末が描かれています。

 

関連記事:張任によって龐統討たれる

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実は呉と縁が深かった龐統

孫呉(孫権黄蓋陸孫周瑜周泰) 

 

さて。劉備に仕える以前の龐統は、どこで何をしていたのでしょうか?

 

正史三国志には、龐統が周瑜に仕えていたとする劉備の言が残されています。

同じく正史に、病死した周瑜の遺体を送り届ける役を龐統が務めたという記述もあることから、

彼が周瑜の配下であった可能性が高いと考えられます。

 

龐統を一端はクビにした劉備をとりなし、もう一度彼を起用するきっかけを作ったのは呉の魯粛(ろしゅく)でした。

 

また、龐統は陸績(りくせき)や全琮(ぜんそう)、顧邵(こしょう)といった呉の重臣たちと懇意にしており、

互いに褒め称えあう関係であったとも言います。

 

これだけ呉と縁の深い龐統がなぜ、孫権ではなく劉備に仕えたのでしょうか?

 

一説には、周瑜(しゅうゆ)なきあと、孫権に軽んじられた龐統がその元を離れたとも言われています。

また、孫権の密命を受け劉備の動向を探るスパイであった、という説もあるようですが、定かではありません。

 

関連記事:稀代の豪傑 魯粛(ろしゅく)|演義と正史では大違い?

関連記事:周瑜はどうやって時代を超越した軍師・魯粛を手に入れたの?

 

龐統を起用した劉備の思惑とは?

劉備玄徳が眩しい理由 三国志

 

一度はクビにしながらも、龐統を重用した劉備ですが、彼はただその才覚のみを欲したのでしょうか?

 

呉と龐統の関係を考えると、すこし違った解釈も可能と思われます。

 

荊州入りする以前の劉備軍は、治める土地を持たない流浪の軍隊でした。

華北の都を押さえる曹操の魏や、揚州を代々治めて来た孫権の呉に対し、劉備の足元は極めておぼつかないものでした。

 

思うに、劉備は龐統の人脈に期待を寄せていたのではないでしょうか?

 

諸国を流浪し、荊州にたどり着いた劉備には曹操や孫権のような確たる地盤を持っていません。

彼は荊州や益州の人から見れば、あくまで『よそ者』に過ぎないのです。

 

そんな劉備にとって、龐統が呉の重臣たちとの間に築いていた人脈は大いに役に立つものと思われた可能性は高いのではないでしょうか?

 

龐統が歴史の表舞台に立ったのはごく短い期間でしかなく、その逸話も多くは残されていません。

しかし、龐統の才能は孔明と並び立つものであったとされています。

 

もし彼が落鳳坡で戦死していなければ、その後の蜀はどうなったでしょうか?

 

孔明と龐統を、漢の高祖劉邦に仕えた二人の名軍師、張良と韓進になぞらえ、

龐統が生きていれば劉備による全土統一も可能だったかもしれない、という人もいます。

 

いずれにせよ、歴史の流れが大きく変わった可能性が高いことだけは確かです。

 

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この記事を書いた人:石川克世

石川

自己紹介:

三国志にハマったのは、高校時代に吉川英治の小説を読んだことがきっかけでした。
最初のうちは蜀(特に関羽雲長)のファンでしたが、次第に曹操孟徳に入れ込むように。
三国志ばかりではなく、春秋戦国時代に興味を持って海音寺潮五郎の小説『孫子』を読んだり、
兵法書(『孫子』や『六韜』)や諸子百家(老荘の思想)などにも無節操に手を出しました。

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