度外れた成功を掴むには、どうすればいいでしょうか?
それに対する答えは柳の下の二匹目のどじょうを当てにしない事です。
すなわち、誰もさらわない沼を単独でさらうのが一人勝ちの絶対条件なのです。
キングダムの時代にも、先んじて大勝利を手に入れた男がいました。
この記事の目次
会稽の郡守 殷通 反乱軍に寝返りを決意
紀元前209年、始皇帝(しこうてい)の死の翌年、
秦の法律の厳しさに耐えかねて暴動を起こします。
最初は1000人規模だった暴動は、同じように秦の政治に不満を抱いていた
人々の共感を呼び、またたく間に100万人が参加する反乱に成長します。
これが秦を滅ぼす直接の原因になった陳勝呉広の乱です。
しかし、このような一大事にも関わらず、秦を牛耳る宦官の趙高(ちょうこう)は、
二世皇帝の胡亥(こがい)に真実を告げず、贅沢三昧の生活を続けさせました。
その間に、各地で秦の役人は、陳勝、呉広の反乱軍に血祭りにあげられます。
会稽郡の郡守だった殷通(いんつう)は、もはや秦の天下ではないと考え、
自分から反乱軍になって、陳勝や呉広と合流しようと考えます。
力のない殷通は、土地の顔役の項梁を呼び出す
ですが、秦から派遣されただけの殷通は、会稽の実力者にコネが
全くありませんでした。
皇帝から与えられた兵力は、僅か2千であり、しかも皇帝の命令が
無ければ動かす事も出来ません。
そこで、殷通は、会稽郡の顔役だった項梁(こうりょう)という男を
呼び出し、反乱の計画を告げて、仲間に引き込もうと画策します。
先んずれば人を制す、遅れればすなわち人に制せらる・・
「項梁よ、すでに秦は各地で反乱軍に敗れ、
その一軍は、この会稽まで迫っているという噂もある。
先の長くない秦に仕えて、反乱軍に滅ぼされるのも愚かな事だ。
諺にも、先んずれば人を制す、遅れればすなわち人に制せらると言う。
反乱軍に会稽を攻められる前に、自ら反乱軍になれば、
連中は私を攻める大義名分を失うだろう・・
どうだ、項梁、わしの将軍になり、共に立ちあがってくれぬか?」
すると項梁はすぐに応じようとはせずに言いました。
「お言葉は嬉しいのですが、私は背も低く、体も弱く、
一軍を率いるのに向きません、しかし、我が甥の項羽(こうう)なら、
その任に耐えられる筈、どうか、郡守様、御自身で
項羽を口説いていただけませんか?」
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項羽、殷通を斬殺、会稽郡の全権を掌握する
殷通は、喜び、項羽を呼び出すように言います。
項羽は、鎧兜で武装し、剣を片手に下げて入ってきました。
「おおっ!項羽殿、なんと凛々しい武者姿、、ささ!こちらへ参られよ!」
殷通は何も考えず、武装した項羽に近寄り、即座に斬殺されます。
それを見ていた衛兵は、項羽に襲いかかりますが、
項羽はこれを次々に返り討ちにしてしまいます。
あまりの項羽の強さに恐れた衛兵は、次々に武器を捨てて降伏、
項梁は、会稽郡、2千の兵力を吸収しました。
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