現在の日本では、政権が変わるにしても、規制緩和の方向に進みがちです。従来は規制があった部分を撤廃し、民間の倫理に委ねるという方針で、少し前の小泉政権時代には、官から民へという掛け声で大幅な産業の自由化が行われました。さて、このような経済政策の転換は、中国においては、実に2100年前に起きていて、大規模な論争にさえなりました。
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匈奴征伐による財政の悪化で漢は経済介入を始める
前漢の七代皇帝の武帝は、紀元前133年それまでの屈辱的な匈奴との融和路線から、一気に転換して、積極的な戦争に打って出ます。それまでに、漢では戦争が無い時期が50年以上も続いていて、国力は満ちて、人口も増大していました。この圧倒的な物量と衛青(えいせい)、霍去病(かくきょへい)のような名将を全面に出した戦争は、次第に匈奴を追いこんでいき、弱体化した匈奴を西に追い払う事に成功します。しかし、武帝の在位53年の間に大小合わせて60回にも上る遠征は、豊かだった漢帝国の蔵を空っぽにして財政を破綻させました。
前漢は重農路線から商業を抑えていた
前漢帝国は、建国の当初から、疲弊しきっていた農民層の救済を重視し、商人が不当に利益を上げる事を牽制していました。その為に商人は役人になる事も出来ず、出世から除外されました。実際に商人は、豊富な資金力を背景に、金貸しなどを行って、返済できない農民を奴隷化して働かせるなど、悪事を働くものがいてそれが、漢王朝による取り締まりの理由になっていました。しかし、武帝の遠征により、国庫が空になった今、商人をハブしていても蔵は一杯にはなりませんでした。
武帝、方針を変換、 商人出身 東郭咸陽、孔僅、桑弘洋を登用する
国家の破産状態に瀕した武帝は、商人出身で経済に明るい、東郭咸陽(とうかくかんよう)孔僅(こうきん)桑弘洋(そうこうよう)らを役人として登用して、経済問題を任せます。これは、従来の商人は役人にしないという政策からの一大転換でした。桑弘洋は、武帝の要請に応え、塩と鉄と酒を国家が管理して売る塩鉄の専売制を推進する事になります。
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塩、鉄、酒の専売制は漢の国庫に多額の儲けを生み出す
桑弘洋は、さらに平準法や均輸法を制定して、国家が市場に出回る商品を安い時に買い込み、高くなった時に売るようにしたり、需要が薄い土地から商品を買い込み、需要が高い土地に商品を売り込むというような措置を取りました。ザックリと言ってしまうと、それまで民間業者だけで、動いていた市場に、国家という巨大な総合商社が入ってきたというイメージで間違いありません。日本でも郵政民営化で、経営分離された日本郵便が利益を出す必要に迫られ、民間のクロネコヤマトが民業圧迫と苦情を出していましたが、あれと同じような感じです。特に、塩と鉄は、人間の生活に絶対必要なモノですから、どんなに高くても質がイマイチでも一定量は売れます。それを政府が一括管理した事は、莫大な利益をもたらしました。
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国の利益を他所に、国民は苦しむ・・
桑弘洋達、商人出身官僚の経済政策は大あたりして、からっぽだった政府の国庫は一杯になりました。しかし、専売は既得権益を生み出し、役人の腐敗を招きました。特に鉄は、質が悪いものが、ただ数だけ大量に生産されて、少し使うとすぐに壊れてしまうなど、粗雑な商品ばかりになります。本来なら、質が悪く高い商品は市場から淘汰され、安く品質が良い製品が残るのですが、事実上、国家が独占している鉄製品では、その淘汰も起こりませんでした。
これは、後にソビエトなどの共産圏でも起きた産業の停滞です。競争相手がいないので、商品の開発・改良努力も必要なく、西側の自由主義陣営の商品に比較して品質が極端に劣ったのです。
政府は経済に関わるな!儒教官僚と民間業者が反発 塩鉄会議が起きる
このような民間の不利益が増大するに従い、政府の経済への関与に反対する儒教官僚の反発が激しくなります。
「国家が民間と利益を奪い合うのは好ましくない」
「塩と鉄の専売は事実は腐敗を生み、民は迷惑している」
そして、強力に塩鉄の専売制を支持していた武帝が死ぬと不満は爆発、政治の実権を握った霍光は、これらの反対意見を容れて、政策を修正しようとしますが、これに桑弘洋が反対しました。その為に、じゃあ議論しようという事になり、紀元前81年、民間の有識者である、唐生や万生等、60名と、御史大夫の桑弘洋、丞相の車千秋等が論争をする事になります。これを塩鉄会議と言い、議論は経済ばかりではなく、外交や内政、教育問題にまで波及して続きました。論争自体は、儒教官僚が圧倒していましたが、論争には勝つもののじゃあ、国家の赤字をどうすればいいのか?という対案を儒教官僚は出す事が出来ませんでした。
これも現在の日本と同様で、野党は政府の批判は出来ても、具体的な対案を出す事が出来ません。この2100年前も同じで、対案の無い事が響いて、論争で勝利した、儒教官僚の主張は通らず、酒の専売が廃止されただけで、塩と鉄の専売は前漢時代の末期まで継続しました。その後も何度かの中止期間を置きながら、両者の専売は継続し、政府の莫大な資金源となっていくのです。
規制と自由は、庶民の利益になるかで考えるべき
漢は当初、利益に任せて民間を搾取していた商人の横暴を取り締まる商業抑制主義を取っていました。それが、武帝の遠征による国家財政の破たんで方針転換し、政府が市場に介入して利益を得るようになります。それは民間の望んだ事ではなく、やはり、質が悪く、しかも高い塩や鉄を売りつけられ民衆は苦しむ羽目になりました。規制緩和も規制強化も、その時代と市場の動向を見て、柔軟に行うべきですが、まず第一にそれが国民の為になるか?それを考えないといけないでしょう。世の中には、競争になると人命まで軽視される産業と、人命には関係なく、企業の淘汰でサービスの質が良くなる産業があります。規制を緩和する時、或いは規制を強化する時は、その見極めが大切である事を2100年前の論争は教えています。
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