「許田打囲」とは?…
曹操(そうそう)が献帝(けんてい)とその臣下たちと狩りに出かけたとき、
自分に不満を持つ者たちをあぶり出すために、わざと献帝の弓を取り上げて獲物を射て、
献帝に向けられた臣下たちの万歳を遮って自分が受けたことを言います。
『三国志演義』の創作部分です。
→これを見た関羽は、曹操の無礼さに激怒し、曹操を切り捨てようとしましたが、
劉備が止めたので実行されることはありませんでした(もちろん、この部分も『演義』の創作)
この記事の目次
これに対する総評
さて、このシーンについての毛宗崗本『三国志演義』の第二十回「曹阿滿 許田に打囲す」の総評では、
関羽(かんう)が曹操を殺そうとしたのは、人臣として大義を明らかにするものである。
劉備が殺そうとしなかったのは、君父のための謀は万全でなければならないからである。
君側の悪を除くことは最も難しい。
前後左右、みなその腹心爪牙であるため、
これを殺せば我が身に禍が及ぶだけでなく、君父に及ぶ可能性がある
と述べられています。
つまり、関羽の行動が人臣としての大義ではあるが、劉備の判断が正しいとされているのです。
その典拠とされているのが、関羽を止める劉備のセリフの中に出てくる「投鼠、器を忌る」です。
これは、『漢書』賈ギ伝を典拠とする俚諺であり、君側の奸を除こうとして、その混乱により、
君主を傷つけることを恐れる喩えのことです。
この場面だけであれば、この俚諺によって関羽と劉備それぞれの行動が正当化されます。
「義釈曹操」
「義釈曹操」とは?…
赤壁から敗走する曹操を華容道で待ち受けていた関羽が、
意図的に曹操を見逃す場面。『演義』の作り話。
この場面の生む矛盾
関羽は、許田では「今日あの国賊を殺しておかなければ、のち必ず悪事を働きましょう」
と言っておきながら、華容道では、その国賊を故意に見逃すことになります。
すると毛宗崗本は、許田では関羽が曹操を殺さないということも「義」とすることになり、
曹操への対応が正反対であるこれらの二つの行為をともに
「義」と評価してしまう矛盾に陥ってしまいますよね
(ややこしいし論理ですが、頑張ってついてきてください)。
これに対する総評
そこで、毛宗崗は、第五十回「関雲長、義もて曹操を釈す」の総評にこう記します。
ある人は、関公と曹操について、なぜ、曹操を許田の時には殺そうとしたのに、
華容道では殺さなかったのか疑問であるという。
許田で曹操を殺そうとしたのは忠である。華容道で殺さなかったのは、義である。
順逆が分かたれていなければ忠をなすことはできず、
恩讐が明らかでなければ、義をなすことはできない。
関公は、忠は天をしのぎ、義は日を貫く。まことに千古のうちに一人のお方である。
と述べ、「ある人」の疑問としてこの矛盾を指摘しています。
毛宗崗も、矛盾に気づいていたんですね。
では、この矛盾に対して、毛宗崗はどう対処したのでしょうか。
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毛宗崗の論理
さて、毛宗崗本は、許田での関羽の行為を「忠」とし、
華容道での行為を「義」としています。
献帝を危険にさらさないという「忠」を曹操殺害という「義」より優先権するのです。
ただし、それは、義を棄てて中心を優先したというわけではありません。
毛宗崗本が「読三国志法」の中で、「三国志(※演義のこと)はその義を述べることを目的とする」
と尊重する『春秋』は、動機主義を取ります。
少し厄介なお話になりますが、説明してみましょう。
現在の刑法でも議論のある、殺そうとして殺せなかった者と、
殺す気はなかったが殺してしまった者と、どちらの方が罪が重いのか、という問題について、
『春秋』は、圧倒的に前者の罪が重いとします。
動機が行為より優先する、動機主義を取るからです。
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毛宗崗的結論
となれば、許田において、関羽は曹操を殺そうという動機を持っているので、既に義です。
そのうえで、献帝を危険な目に遭わせない、という忠を義よりも優先しました。
つまり、関羽は義であり忠なのです。
毛宗崗は、二つの作り話の間に生じた、曹操を殺そうとしたり、
殺さなかったりする矛盾を、関羽が忠義を備えているとの主張により、解消したのでした。
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三国志ライター・秋斗のつぶやき
書いていて思いました。
毛宗崗の言いたいことはよく分かります。
『三国志演義』が成立した頃には既に関羽は神として崇められていて、
それに合わせなければならなかったのもよく分かります。……でも。
でも、強引過ぎるやろう、と。
しかし同時に、どうせ庶民が読む『三国志演義』なのにそういった細部までこだわってしまう
毛宗崗の作者としてのプライドには、
文章を書く人間としては、少し共感してしまうところもありますね。
さて。引き続き『関羽の義』について掘っていきますよ。
どうぞ次のページに進んでくださいませ。
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