あの曹操が箱入り娘ってどういうこと!?華容道って、なに?

2015年10月2日


 

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竜を追っている石川氏

 

“三国志ライター”を名乗る以上、日々三国志に関する情報収集は欠かしてはならない。そんな使命感に燃えた筆者が今日もネットを駆使して情報集めに勤しんでいたところ、驚愕のキーワードを発見しました。

 

……なんと!!

 

曹操

 

曹操は箱入り娘だった!?

 

一瞬、我が目を疑い、目をゴシゴシとこすってみましたが、見間違いありません。(本当はブタクサの花粉症で目がかゆかっただけなのは秘密)“箱入り娘”というのは、普通一般的には親に大事にされすぎて、家からほとんど出ることもなく育てられたお嬢様のことを指す言葉ですね。

 

曹操

 

曹操が、その“箱入り娘”だ、とでもいうのだろうか?

 

……え? なに!? どういうこと!?

何を言ってるのかさっぱり分からないかもしれませんが、筆者にもさっぱり(以下略

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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ところで“箱入り娘”って?

箱入り娘

 

パズルゲームに、スライディングブロック・パズルとよばれるジャンルがあります。枠の中にスライドさせることにできる何枚かのパネルが入っており、パネルをスライドだせて特定の順番に並び替えたり、ある決まったパネルを枠に一箇所だけ開けられた出口から取り出す、というゲームですね。1~15までのパネルを順番通りに並び替える『15パズル』などが有名です。

 



だから“箱入り娘”ってなんなの?

……え?

 

パズルの話なんて、聞いてない?無関係な話で行数を稼ぐなんてせこい?いえいえ、実は大いに関係あるんですよ、これが。ここで言う“箱入り娘”とは、実はこのスライディングブロック・パズルの一種のことです。

 

 

“箱入り娘”は4×5の枠の中に次のパネルが収められています。

 

2×2の大駒: 1個

2×1の長方形駒 : 4個か5個

1×1の小駒 : 4個か6個

 

パネル中最大である2×2のパネルを、枠の下部に作られた出口から取り出すのが目的です。このパネルに“娘”という文字が書かれていることから、通称“箱入り娘”、というわけです。(他のパネルには『父親』『母親』『祖父』などが書かれています)

 

その“箱入り娘”がどうしたっていうのか?

日本に目指さした孫権

 

ちなみに、英語では「Klotski」(ポーランド語で木のブロックを意味する「klocki」から)と名前で同様のパズルが20世紀初頭に特許出願されています。このパズルが日本に輸入され、流行したのは1930年代のことでした。

 

だから、その“箱入り娘”と曹操にどういう関係が?

 

日本に伝来して“箱入り娘”となった「Klotski」は、1940年代には中国に輸入され、“華容道”(かようどう)という名前で知られるようになりました。

 

この“華容道”では、日本で『娘』と書かれるパネルに『曹操』と書かれています。他の(『曹操』のパネルを邪魔する)パネルには『関羽』『張飛』『趙雲』といった名前が……。実はこの“華容道”というパズル、三国志のあの名場面をモチーフにしたゲームだったのです。

 

げえっ 関羽!!

曹操を逃す関羽

 

赤壁の戦いにおいて劉備・孫権の連合軍による火攻めによって艦隊を焼き討ちされた曹操は、残されたわずかな手勢と共に撤退を余儀なくされます。

 

挑発する諸葛亮孔明

 

曹操の退却を予期していた諸葛孔明は随所に伏兵を配置、逃走する曹操を捕縛しようとします。曹操は苦難の末、なんとか配下の曹仁の守る城近くにたどり着きますが……。

 

曹操を逃す関羽

 

そこに待ち構えていたのは関羽でした。曹操は自分の命運が尽きたと思いますが、なぜか関羽は道を開け、曹操を逃走するに任せてしまいます。関羽は一時的に曹操の配下として働いた経験があり、恩義を感じていた関羽は大敗して傷ついた曹操の手勢を討つことができなかったのです。

 

孔明

 

実は、関羽をその場に配置したのは孔明でした。

 

孔明もコペルニクスに似ていた

 

彼は天文を読むことで、曹操の命運がいまだ尽きてはおらず、今彼を打ち取ることは不可能だと判断していました。そこで孔明は曹操が逃走する際必ず通ることがわかっている道に関羽を配置して曹操を逃させることで、彼に恩返しをさせる=未練を断ち切らせようとしたのです。

 

この、関羽と曹操の名場面が演じられた場所。その場所こそが華容道なのです。

 

詳しくは『80話:曹操の命乞いで関羽が曹操を逃がす』をお読みください。

 

三国志ライター 石川克世の独り言

石川克世

 

中国の民間説話などでは、日本以上に悪役の印象の強い曹操ですが、その曹操をいわば主人公としたゲームとして“華容道”が定着したというのは、なかなか興味深いところです。三国志演義の影響を考えると、例えば関羽の千里行が題材になってもおかしくないところ、だと思うのですが……。

 

毛沢東(もうたくとう)

 

Klotskiが“華容道”として中国にもたらされた1940年代、中国では魯迅や毛沢東によって曹操が再評価され始めた時期に当たります。もしかすると、そんなことが影響しているのかもしれませんね。それでは、次回もお付き合いください。再見!!

 

 

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