三国志演義は民衆達が楽しめるように刊行された正史三国志を元ネタにした娯楽本ですが、
三国志演義の前半最大の見せ場といえば、赤壁の戦いではないでしょうか。
正史三国志ではこの戦いをたった数行でしか紹介していませんが、
三国志演義ではいろいろな創作を導入することで、華々しい戦いとして読者を楽しませております。
今回は三国志演義の赤壁の戦いのどこが創作なのかをピックアップしてみました。
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三国志演義・赤壁の戦いの創作その1:連環の計
三国志演義では孫呉の総司令である周瑜(しゅうゆ)に龐統(ほうとう)が、
「曹操軍の船を鎖で結ばせれば、逃げることもできない状態になるでしょう。
あとは周瑜殿が考えている必勝の火計を用いれば曹操軍の船は全滅させることが可能でしょう。
私が曹操軍へいって曹操に進言してきましょう。」と
連環の計を進言したことにより行われることになります。
龐統は曹操の元へ行き船を鎖で結ばせることの利点を説きます。
すると曹操は龐統の進言を聞き入れて、船を鎖で結びつけることにします。
上記が連環の計のざっくりとした説明ですが、この計略・・・・実はフィクションでした。
龐統は正史三国志で曹操にこのような助言を行っていた事実は一切ありませんでした。
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三国志演義・赤壁の戦いの創作その2:10万本の矢を集めた逸話
孫呉の総司令官である周瑜は劉備軍の外交官である孔明に
「我が孫呉では弓矢不足で困っております。何とかできますか。」と相談します。
すると孔明は「任せてください!!」と言った後、周瑜から小さい軍船を1艘借りて出かけて行きます。
彼は船の両舷にわら人形をたくさん立ててから深夜、曹操軍の陣地へ向かいます。
曹操軍では軍船が孫呉軍の方からやってくるので、軍船めがけて大量の矢を撃ちまくります。
孔明は船の両舷に立てた藁人形達に矢が沢山刺さっていることを確認すると撤退。
孫呉の陣営に帰ると周瑜へ「弓矢をたくさん仕入れてきましたので、これをお使いください」と
言ってわら人形にたくさん突き刺さった弓矢を周瑜に献上しております。
しかしこれも三国志演義のフィクションになります。
この10万本の弓矢の話は孫権が元ネタとなっているそうです。
また10万本の弓矢の逸話を使用して敵から矢を仕入れた武将として有名なのが
唐の時代で城を守らせたら鉄壁と言われる張巡(ちょうじゅん)が使用しております。
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三国志演義・赤壁の戦いの創作その3:東南の風
周瑜は火計を用いて曹操軍の軍船を燃やし尽くして勝利を得ようと考えておりましたが、
曹操軍の方に吹く風が発生しなくて困っておりました。
周瑜は孔明に相談すると「任せてください!!」と二つ返事で了承。
孔明は祈祷を行うと風向きが突然変化し、曹操軍の方へ勢いよく吹き始めます。
周瑜は風向きが変化したことを知ると前もって曹操軍へ偽装投降する手はずを整えていた
黄蓋に乾いた柴をたくさん載せて出発させます。
その後ははじさん読者も知っている通りで、
黄蓋は自らの船に火をつけて突撃させて曹操軍の船を火だるまにしてしまいます。
曹操軍はくさりで船と船を縛り付けていたので、
火から船を避けることもできずに燃やされてしまいます。
こうして赤壁の戦いは終幕を迎える事になるのですが、
孔明が起こしたこの東南の風もフィクションだったのです。
孔明は東南の風が起きることを予知していた訳でもなく、
単純に赤壁の戦いを盛り上がらせるためのフィクションとして創作したものです。
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三国志ライター黒田レンの独り言
正史三国志の赤壁の戦いがたった数行でしか紹介されていないため、
三国志演義を完成させた羅貫中(らかんちゅう)は
色々な創作を作るしかなかったのではないのでしょうか。
それにしても上記で紹介した以外の計略も巧妙にフィクション計略が入っているので、
読者も疑うことなく赤壁の戦いを盛り上がって読むことができるので、
三国志に興味をもって赤壁の戦いを知った方は結構ショックな出来事ではないのでしょうか。
レンも三国志演義から入ったのですが、本当の赤壁の戦いを知って結構ショックだったことを
覚えております。
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