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衝撃の事実!卑弥呼はアイドル活動をしていた?通説・卑弥呼伝

2017年4月12日


 

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久しぶりの投稿となります。

前回は、邪馬台国の存在と場所の謎について書きました。

今回は、その女・卑弥呼について書きたいと思います。

 

前回記事:松本清張も注目!邪馬台国(やまたいこく)はどこにあったの?

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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序文「通説・卑弥呼伝」

 

3世紀前半に、求心力を失い乱れる「邪馬台国」の中で、颯爽(さっそう)と登場し、

絶大な支持で女王の座に着くと、

「鬼道(きどう)」と言われるシャーマンに似た、

占いのような行為で人心をつかみ、日本国内(当時は、瀬戸内海域中心の西日本一帯か、

あるいは北九州地域限定とする二つの説が有力です。)の乱れをなくし、対外政策も積極的に行い、

周辺の国々を含めた連合国家の盟主として君臨し支持されました。

さらに、遠く離れた中国大陸の一大国「(ぎ)」へ使者を送り、親交を築きました。

その後、邪馬台国の敵対する「狗奴国(くなこく)」

[南九州地域の国かと言われています。]との戦を大々的に進めました。

 

 

しかし、その戦乱は決着することなく、戦乱の最中に卑弥呼は亡くなったと言われています。

以上が、よく知られる、簡単な卑弥呼の略歴となりましょうか。

 

そして、この内容は、歴史書『三国志』(正史)内の

『魏志倭人伝』(以下、「魏志」)の章に基づくものであります。

しかし、「魏志」に出てくる邪馬台国は大陸王朝側(中国)の思惑で、

実際より誇大されていた可能性も大いにあります。

 

 

これは前回の記事で松本清張の著書の『古代史疑』を題材にしながら記した通りです。

つまり、歴史書は真実を語るとは限らないのです。

そして、今回も清張の著作を大きく参考にして、

清張探偵の視点にたった「卑弥呼伝」の文を書いていきたいと思います。

その『古代史疑』には、卑弥呼についても大きく取り上げられているのです。

 

アイドル「ヒミコ」?

 

まず、清張によると、卑弥呼は実質的な指導者ではなかったかもしれないというのです。

それでは傀儡政権だったのでしょうか?

しかし、それとは意味合いが違っていたようです。

実質的には、「シャーマン」などと表現されるような、占いに似た行為によって、

神などの存在に憑依(ひょうい)され、神のお告げを預かり、

皆に伝える伝導者であったと考えられるというのです。

つまり「巫女」と言われる存在で、その代表者だったということです。

宗教的カリスマの存在だったと考察しています。

そして、政治上の権力者は別に、背後に存在したというのです。

卑弥呼の後に登場してきた、台与(とよ)〈あるいは「壱与・いよ」〉も、

同じく「巫女」だったのいうのです。

 

 

おそらく、当時の中国王朝側から見ると、

その「巫女」がら外見上は庶民たちの上に君臨しているように見えるため、

その状況を文献か何かで知った『魏志』の作者の陳寿(ちんじゅ)は、

それが物珍しくて、女王と表記したのではないかと考えられるというのです。

ある意味、誤解とも言えるでしょうか?

 

魏帝の臣下「卑弥呼」?!

 

 

ただ、正確には、次のような意味合いもあるでしょうか。

つまり、歴代の中国大陸王朝の社会では、女性が君主に君臨したり、

そうでなくても王の側に付きっきりだと、

国家に災いを招くと考えられる風潮があったということです。

例えば、古代王朝「(いん)」を滅亡に追いやったとされる「妲己(だっき)」に始まり、

「唐(とう)」王朝の「楊貴妃(ようきひ)」や、

同じく「唐」の「則天武后(そくてんぶこう)」。

 

 

そして、直近の近現代では「清(しん)」王朝末期の「西太后(せいたいごう)」が挙げられます。

ですから「魏志」の中で、女王が治める国「邪馬台国」は、

中国王朝側からしたら、上から目線の軽蔑の対象にできたという訳です。

そもそも「卑弥呼」という呼び名そのものが軽蔑の気持ちが入っているというのです。

卑弥呼の頭文字は「卑しい」のです。

「男尊女卑」の表れとも考えられます。

また「邪馬台国」も同様です。

「邪悪」で「邪魔」の邪馬台国であったというのです。

これは、邪馬台国に限った軽蔑というより、所謂「中華思想」と言って、

中国大陸王朝を世界の中心と考える思想の表れだったと考えられます。

 

 

その周囲の国々は蔑視され「東夷(とうい)」、「鮮卑(せんぴ)」、

「匈奴(きょうど)」などと軽く見られる名称が使われました。

当時は、悪気があってというより、文明が進んでいたのは確かで、

それが当然という考え方だったようです。

加えて、意図的に、中国王朝の「魏」を持ち上げるため、

卑弥呼と邪馬台国の存在を駒として、利用したと考えられるでしょうか。

 

 

結局は、卑弥呼は、当時の中国王朝の魏帝、2代皇帝曹叡(そうえい)」や

3代皇帝「曹芳(そうほう)」の臣下の位置づけだったということです。

 

 

実際、卑弥呼は、魏帝から「親魏倭王」の印を得ているので、

直接的でなくても、魏の臣下であるという位置付けは確かなことでありました。

ちなみに、清張は、当時の九州北部は中国王朝の直轄領だったとも主張しています。

 

関連記事:倭国 「魏志倭人伝」 から読み取る当時の日本、邪馬台国と卑弥呼を分かりやすく解説

関連記事:邪馬台国ってどんな国だったの?まさに神っていた邪馬台国

 

魏による倭国侵略の先発隊!?

 

又、卑弥呼が、邪馬台国の実質的な最高権力者としての女王ではなかったかもしれない理由として、

次のようなこともあり得るのではないでしょうか?

つまり、卑弥呼が邪馬台国の女王で、

絶対権力者なら血で血で争うことを率先して指導したか、疑問符がう打たれるのです。

戦を避ける姿勢がもっと出て良いと思うのです。

にも関わらず、歴史書を見ると、邪馬台国は、

卑弥呼の時代に、大々的に、近隣の「狗奴国(くなこく)」との戦を推し進めました。

男の統治者が行うような外交戦略ではないでしょうか?

もちろん、「トランスジェンダー」といった性別が交錯した目線で見ると、

「男らしい女」としての統治者だったと見ることもできるでしょう。

さらに、女性=反戦思想を持つ者と決めつけられないところです。

しかし、先程記したように、中国王朝側の歴史書「魏志」が、邪馬台国を蔑視するために、

その口実として卑弥呼の名前と女王の名前を利用していた可能性があったことを含めて考慮しますと、

実際は、邪馬台国に女王・卑弥呼はいなかった可能性が強く出てきます。

 

 

操り人形のような傀儡であったかもしれず、

又、象徴として戦意高揚にも利用されたという可能性も出てきます。

しかも、その背後には、中国大陸の魏帝の存在がありましたから、

考え方によっては「狗奴国」との戦は、魏による倭国征服戦争の一貫だったとも言えるでしょうか?

いつの時代にも、どこの世界にも、カリスマ的存在を後ろ盾に、

正義の戦と称して、血塗られた戦争を繰り広げた国家が

数多く存在した事実はあります。(帝や将軍、キリストや神など。)

それを踏まえると、卑弥呼がアイドルやカリスマとして利用されたと考えても、可笑しくはありません。

 

(了)

 

次回は、卑弥呼の正体についてをテーマにして、「天照大神となった?」

「朝鮮半島から来た?」などの内容の記事を書いていく予定です。お楽しみに。

 

〈参考資料〉

『古代史疑』(松本清張・著)[中公文庫]より

 

関連記事:曹真が余計な事をするから邪馬台国の場所が特定出来なくなった?

関連記事:邪馬台国が魏と外交出来たのは司馬懿のおかげ?

 

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コーノ・ヒロ

コーノ・ヒロ

歴史好きのライターです。 福祉関係の仕事をしつつ、物書きの仕事も色々としています。 小説や詩なども、ときどき書いています。 よろしくお願いします。 好きな歴史人物 墨子、孫子、達磨、千利休、良寛、正岡子規、 モーツァルト、ドストエフスキー など 何か一言 歴史は、不動の物でなく、 時代の潮流に流される物であると思っています。 それと共に、多くの物語が生まれ、楽しませてくれます。

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