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魏延を倒した楊儀は孔明が亡くなった後どうなったの?

2017年9月10日


 

 

孔明から事務処理能力の高さを愛された楊儀(ようぎ)

孔明亡き後、蜀軍の退却において魏延(ぎえん)の妨害に会いますが見事に退却戦を行います。

さて彼は蜀軍を退却させ対立していた魏延を倒したのですが、

彼は蜀で出世することができたのでしょうか。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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蜀軍撤退貢献した楊儀

 

楊儀は孔明から「私が亡くなったら蜀軍を率いて益州へ帰還せよ」と命令を受けます。

この命令を受けてから数日後孔明は亡くなってしまいます。

楊儀は孔明の命令を遂行するため、

蜀軍の総大将として蜀軍を率いて益州へ撤退を開始。

しかし蜀軍総退却に反対していた魏延は指揮下の軍勢を先回りさせて、

楊儀率いる蜀軍の撤退を妨害。

楊儀は蜀軍の撤退を行う最中、部下であった馬岱(ばたい)に

「魏延の指揮下に入って、チャンスを見つけて彼を殺害せよ」と命令。

馬岱は楊儀の命令を受けて密かに魏延に加わることになります。

楊儀はその後魏延の妨害に会いながらもなんとか蜀軍を総退却させることに成功。

魏延は密命を受けた馬岱によって殺害されることになります。

 

孔明の跡を継ぐのは俺しかないでしょ

 

楊儀は蜀軍の総退却の成功と孔明の北伐戦で積み上げてきた功績を鑑みて、

孔明死後彼の跡を継いで蜀の政治を行っていくのは、

自分しか居ないと思い込んでおりました。

しかし結果は楊儀の思惑と違いました。

孔明死後蜀の政治を担うトップに就任したのは彼の同僚であった蔣琬(しょうえん)でした。

 

北伐の真実に迫る

 

孔明はなぜ楊儀を後任にしなかったのか?

 

孔明は楊儀に軍の編成や北伐戦が行われた際、

軍の兵糧がどの程度毎日消費されているか調査する事務能力に秀でていた事から

彼の才能を愛しておりました。

孔明はそのため将軍の位を与えると共に北伐戦を行う時には、

必ず彼を従軍させておりました。

しかし孔明は彼を自分の後継者として任命していませんでした。

その理由は彼の性格にありました。

正史三国志蜀書によると楊儀の性格は狷介(けんかい=頑固で自らの信じることを曲げず、

他人に対して心を開かないこと)で偏狭な人物であったそうです。

そのため孔明は彼を後継者として任命することをしなかったようです。

 

愚痴をいいまくる

 

蔣琬が蜀の政権を担うトップとして君臨することになると楊儀は、

担当する職務のない閉職に異動する事になります。

費禕(ひい)は楊儀が不満を持っているに違いないと感じていつも彼の元を伺い、

愚痴を聞いておりました。

楊儀は費禕に対して「なんで俺が孔明様の跡を告げないんだよ」と

愚痴ばっかり言っていたようです。

費禕はいつもように職務を終わらせると楊儀の元に行きましたが、

この日の楊儀はいつもと違い彼に「五丈原(ごじょうげん)で

孔明様が亡くなり蜀軍の総退却を行ったとき、

もし魏延の味方をしていれば俺がこんなに落ちぶれることはなかったであろう」と述べます。

楊儀のこの言葉を聞いた費禕は楊儀の家を去った後劉禅(りゅうぜん)に楊儀の言葉を密告。

この言葉を聞いた劉禅は彼を庶民に落として僻地へ赴かせることになります。

 

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三国志ライター黒田レンの独り言

 

楊儀は僻地に家族と一緒に行くことになりますがこの地で再び劉禅に上奏。

劉禅は楊儀が書いた上奏文に目を通すと上奏文の内容が、

群臣達の批判に満ち溢れていたことからポンコツ劉禅もさすがに激怒。

すぐに楊儀を逮捕して処刑することにします。

こうして楊儀は残念な最後を迎える事になるのです。

彼がおごることなく謙虚な人物であれば蜀にとってもかなり有益な人物であったと

言えるのではないのでしょうか。

 

参考文献 ちくま文芸文庫 正史三国志蜀書 今鷹真・井波律子著など

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

三國志が大好きです。オススメのマンガは曹操を描いた蒼天航路がオススメです。三國志の小説のオススメは宮城谷昌光氏が書いた三國志です。好きな食べ物はマグロ、ぶり、アジが大好きな猫です。

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