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【中国人民激白】劉備が鬼畜すぎたから徐庶は離れた

2018年3月19日


 

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徐庶

 

三国志演義(さんごくしえんぎ)で、劉備(りゅうび)がはじめて迎えた軍師(ぐんし)徐庶(じょしょ)

劉備の敵役の曹操(そうそう)に母親の身柄をおさえられ、しかたなく劉備と別れ

曹操陣営におもむきました。

 

曹操にヘッドハンティングされる徐庶

 

徐庶の母は息子が主君を捨てて来たことに怒り自害しましたが、

その後も徐庶は劉備のもとへ戻らず曹操に仕えました。

 

李斯

 

戻らなかったわけとして、別の記事で三つの理由を挙げましたが、その他に、

中国語のたくさんのウェブサイトで指摘されているちょっとびっくりするような理由があります。

 

劉備を警戒する王粲

 

それはなんと、鬼畜(きちく)すぎる劉備に徐庶が幻滅(げんめつ)したためだというのです!

劉備といえば涙もろい仁の人じゃないんですか? Why, Chinese people!?

 

※鬼畜:鬼のような仕打ち、血も涙もないむごい行い

 

関連記事:もし徐庶が軍師として劉備軍に留まっていたら三国志はどうなっていた?

関連記事:かつて日本で大流行したカリスマコメント付き三国志が存在した!

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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徐庶が劉備に仕えた理由

 

三国志演義に、徐庶のこんなせりふがあります。

劉景升(りょうけいしょう)劉表(りゅうしょう)のこと)が賢者を招いていると聞き、わざわざ会いに行きましたが、

いろいろ議論してみたところ役に立たない者であることが分ったため、

置き手紙をして出て参りました」

 

後継者を決めるのに困っている劉表

 

徐庶は劉備に仕える前に劉表に仕えようとしていたのです。

「いろいろ議論してみた」「置き手紙をして出て参りました」ということは、

劉表は徐庶をちゃんと相手にして、それなりの待遇も与えていたことが分ります。

 

馬に乗って単身荊州へ赴く劉表

 

劉表といえば、荊州のトップで、豊かな土地と人脈と多くの軍勢を持っていた

堂々たる群雄の一人です。そんな結構な人物から認められていたのに満足せず、

流れ者で地盤も軍勢もなかった劉備に徐庶がひかれたのは何故なのか。

 

劉備の元から離れたくない徐庶

 

徐庶が劉備を選んだ理由はただ一つ、劉備の仁徳に()かれたためであると、

冒頭に述べたようなウェブサイトでは言われています。

 

劉備の仁徳のメッキが剥がれた!

 

徐庶が劉備のもとを去ると、劉備は徐庶が後継者として推薦した諸葛亮(しょかつりょう)

新たな軍師に迎えました。

 

曹操

 

程なく曹操が南征を開始し、劉備の駐屯している新野(しんや)に接近してきました。

劉備は新野城を捨てて南の樊城(はんじょう)に逃れることとしましたが、その際、新野の住民に

「曹操軍が来れば必ず不仁(ふじん)(きょ)に及び、市民を傷つけ害するであろう」

と触れ回って(おど)かして、住民たちにも新野を捨てて自分に同行するよう勧告しました。

 

こうして城の住民を連れ出した劉備は、諸葛亮の計略に従って、

曹操軍の先鋒が新野に入城したところを焼き討ちしました。

住民を無理やり移動させたのは、自分が街を焼いてしまうためだったのです。

 

朝まで三国志201 観客2 モブでブーイング

 

冒頭に述べたようなウェブサイトの論者たちは、徐庶がこの一件によって

劉備の仁の仮面の下にある本当の顔、覇業(はぎょう)のためには手段を選ばない本性(ほんしょう)

気付いてしまったのだと指摘しています。

 

市民を盾にして逃げる劉備、幻滅する徐庶

 

劉備は新野から自分についてきた住民と、立ち寄った襄陽(じょうよう)から脱出してきた住民とを

連れて、南の江陵(こうりょう)を目指して進みました。北からは曹操の追っ手が迫っており、

家財を持ち老人や子供をたずさえた市民を連れながらのノロノロ行軍では

すぐに追いつかれることが目に見えていました。しかし劉備は市民を捨てずに

連れ歩きました。

 

これについて、劉備は「大事をなすには必ず人を以て本と為す」と言っており、

いつでも民を見捨てない仁君のようなポーズをとっていますが、

いざ曹操軍に追いつかれた時には、民にはかまわず自分だけスタコラサッサと

逃げています。足手まといになる市民をわざわざ連れ歩いていたのは、

追撃を受けたときに民を煙幕(えんまく)がわりにして自分が逃げるためだったのです。

 

朝まで三国志2017 観客 モブ

 

冒頭に述べたようなウェブサイトの論者たちは、ここに至って徐庶の劉備に対する幻想が

完全に崩れ去り、徐庶は劉備を捨てる決意をしたのだと指摘しています。

 

三国志ライター よかミカンの独り言

 

要約すると、こういうことですね。

 

◎徐庶が劉備に仕えた理由はたった一つ、その仁徳に惹かれたためである

◎新野の焼き討ちとその後の逃避行で劉備の仁徳が偽りであることが露見した

◎唯一の魅力である仁徳が失われたため、徐庶は劉備を捨てる決意をした

 

周瑜、孔明、劉備、曹操 それぞれの列伝・正史三国志

 

三国志演義の劉備は偽善者(ぎぜんしゃ)っぽく見えるなぁとは私も常々思っていたのですが、

中国でも大勢の方が同じように感じておられるらしいと分かって面白かったです。

 

蜀の劉備

 

徐庶についてのこの解釈の面白いところは、劉備を偽善者認定することで、

徐庶の一途(いちず)さや高潔(こうけつ)さが際立っていることです。

三国志演義の劉備といえば、他の登場人物を引き立て役にすることで

いつも自分ばっかりいい子ちゃんになっている人というイメージがあったのですが、

たまには自分が汚れて他の人物を引き立てる時もあるんですね。新しい発見でした。

 

関連記事:【すっきり解説】曹操の元に徐庶が留まり続けた理由

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