蜀の初代皇帝・劉備は呉への遠征に失敗したあと白帝城に入り、そのまま都へ戻ることなく西暦223年に亡くなりました。その際、重臣の諸葛亮にこう遺言しています。
「君の才は曹丕(魏の文帝)の十倍だ。きっと国を安んじ、最後には大事を成就させることだろう。もし我が子が補佐するに足る人物ならば、これを補佐してやってほしい。もし才がないならば、君が国を取れ」これは諸葛亮に国を奪いづらくさせるための牽制であるとするのが一般的な解釈ですが、私はへそ曲がりなので、あえて言葉通りに解釈します。
国を奪いづらくさせるための牽制とは?
心の美しい人には、先ほどの「国を奪いづらくさせるための牽制」という意味がピンとこないかもしれません。「一般的な解釈」とさらっと書いちまいましたが、どんな世界の一般論なんだ、って感じですよね。劉備が遺言を伝えた際、まわりには大勢の人がいたはずですが、そんな場で面と向かって「君が国を取れ」と言われたら、“ハイではありがたく頂戴します”とは返事しづらいです。口先だけでも“めっそうもない”と言わざるを得ません。劉備の遺言をうけた諸葛亮は、こう返事しています。
「臣は敢えて股肱の力を竭くし、忠貞の節を效し、これに継ぐに死を以てす」劉備の遺言は、諸葛亮からこういう発言を引き出すための振りだとする見方が、「国を奪いづらくさせるための牽制」説です。みんなちゃんと聞いてたよな、亮くん野心ないってよ、とはっきりさせておきたかったのだろうということです。
言葉通りの解釈
私はあえて牽制説はとらず、言葉通りに解釈します。息子が後を継いでもその地位を守っていくことは難しいだろうな~と心配して、息子の苦労をおもんぱかって、みんな無理しなくていいんだぞ、国なんか取れるやつが取ればいいよ、というつもりだったのではないでしょうか。ブラック三国志ライターらしからぬ直球すぎる解釈で気持ちが悪いですが。私のへそは大抵180度しか回りませんが、今回は360度回ってもとにもどりました。
関連記事:劉備が諸葛孔明に託した遺言には裏切りを防ぐための作戦だった?
関連記事:曹操が遺言で見せた女性への愛情
息子に後を継がせなかった陶謙
かつて劉備が一介の傭兵隊長だった頃、徐州をおさえていた群雄の陶謙が臨終のさい、自分の息子に徐州を継がせようとはせず、劉備に徐州を譲ったことがあります。劉備はうっかり徐州を受け取ったあげく、まわりじゅうからボッコボコにされて一家離散状態になりながら徐州を捨てて逃げ出しました。
陶謙は徐州が難しい場所であることが分かっていて、可愛い息子には苦労をさせずに劉備に火中の栗を拾わせたんですね。徐州を手放せば息子さんはそこそこ幸せに暮らしていけそうですが、後を継いでしまったら敗戦の挙げ句に一族皆殺しにされ、陶謙の墓掃除をしてくれる人もいない、という状況になりかねません。息子が徐州を守り切れそうなら後を継がせるのが一番いいですが、無理だと思ったら地位を手放すのが次善の策です。
二代目が国を守ることは至難
劉備が徐州を譲り受けた際には、劉備は陶謙の重臣であった曹豹の裏切りによって徐州を呂布に奪われています。代替わりをした際に恐ろしいのは、先代の統治に納得していた重臣たちが後継者にも忠誠を尽くすとは限らないということです。
現代の企業の人間模様にたとえれば、やり手の創業者社長が引退した後、その社長と一緒に会社をきりもりしてきた重役さんたちが、実績もなく年も若い社長の息子を新社長として上に戴くことに納得しないかもしれないという状況です。
創業者社長が会長になって息子が立派になるまで見張っておくのがいいんでしょうけれども、それをやる時間的余裕がない場合には、息子に無理に後をつがせなくったっていいよ、って重役さんたちに言っておくのはまあまあ普通の考え方だと思います。
二度の失敗体験
劉備は徐州で先代の重臣であった曹豹の裏切りにあうという失敗体験をしましたが、荊州でも痛い目に遭っています。荊州の時には、長官の劉表の後継者として、長男の劉琦を推す人たちと、劉琦の異母弟の劉琮を推す人たちがいて、劉備は劉琦寄りの立場にいたのですが、劉表が亡くなると劉琮側の人たちに出し抜かれて荊州から遁走するはめになりました。
この二つの失敗体験から、有力者たちの支持がなければどこにも安住できないことを劉備は身にしみて知っていたはずです。このことから、諸葛亮たちが支持しないなら息子に無理矢理後を継がせることはできないと、劉備は考えていただろうと思います。
ブラック三国志ライター よかミカンの独り言
私は劉備の遺言を、諸葛亮への全幅の信頼をよせている美談だとは思っていません。奪いたいなら肩肘はらずにサクッと奪えばいいよ、と言いたかっただけだと思います。
こう言っておいてあげれば、諸葛亮が国を奪いたくなったら遺言をたてにとって穏当に(劉禅をいじめずに)譲り受けることができますし、奪わないとしても、国を託された特別な重臣だぞ、といばって政治ができるので仕事がやりやすくなります(良臣ぶって劉禅を大事にしてくれるという効果もあります)。
劉備政権は諸葛亮が脳みそで劉備は筋肉でしたから、諸葛亮を排除するという選択肢はありえません。諸葛亮の支配力を堅牢なものにしておき、彼が支持するなら劉禅をたて、支持しないなら彼自ら国を取らせるというのは、至極現実的な考えであったと思います。