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曹操が遺言で見せた女性への愛情

2015年7月7日


 

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曹操死んでもヨメを・・・

 

西暦220年、三国志の風雲児、曹操(そうそう)は65年の生涯を閉じます。そこに至って曹操は遺言書を残しているのですが、それは、天下の3分の2を支配した絶対権力者とも思えないような、簡単で現実的なものでした。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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曹操の遺言書の内容

死期を悟る曹操

 

「天下は、まだ定まったとは言えないから、葬儀に長い時間を掛けるな。葬儀が済んだら、直ちに、文官は、持ち場に戻り、武官は鎧を着て矛を持ち、敵に備える事を怠ってはならぬ。副葬品として金銀を入れるような事はするな、死に装束も普段着でよい」

 

いかにも合理主義者らしい曹操の遺言ですが、一方で、曹操は、自分の死後に残される13名の夫人達にも、実に事細かく、指示を出しています。

 

 

 

曹操の夫人達にも指示を出す

13人の妻達(曹操)

「葬儀が済んで残った香は、夫人たちに分け与えておきなさい。それから余の側室のなかには職がないもの達がいるだろうから職人を手配してやって、組み紐の飾りをつけた下駄の作り方を習わせ、それを売って生計を立てるように指導しなさい」

 

曹操の夫人は13名もいましたが、曹操の子供を産んでいない夫人は最悪、宮殿を追い出される可能性もありました。もちろん、夫人達の面倒を見るように曹操は、後継者の曹丕(そうひ)にも厳しく言っている筈ですが、それを履行するかしないかは、後を継いだ、曹丕次第という所もあります。

 

 

曹操は予め曹丕対策をしていた

曹植と曹丕に期待する曹操

 

そうでなくても曹丕は曹操とはソリが合わない所があり、曹操は内心では、曹植(そうしょく)を後継者にしようと思っていた位でした。そこで最悪、曹丕が曹操の夫人達を外へ放り出した時に、夫人達が路頭に迷う事がないように飾り紐がついた下駄の造り方を職人に習わせて手に職をつけさせようと曹操は思いついたのです。

 

 

曹操は愛妻家だった

曹操は女性の敵なの?もじのみ

 

自分がいよいよ、最期を迎えようと言う時に、残される夫人の事を細かく考えていた曹操は、当時としてはかなりの愛妻家だと言えるのではないでしょうか?

 

曹操が手元に置いておきたかった韓浩

 

三国志演義では、兎角、冷酷非情な側面が強調されがちな曹操ですが、それは、自分のライバルになりそうな者達に対してであって、自分が愛情を注いだ夫人達に対しては、最期まで優しい夫だったのです。ただの未亡人好きのスケベ親父ではなかったんですね。

 

いえーい、惚れちゃうぜ曹操!!

 

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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