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2018年9月18日


 

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劉備

 

ビジネスは大抵は(えん)だったりします。

kawausoも歴史ライターなどをやっていますが、こちらが忘れた頃に、

昔、格安で仕事を受けた会社から「また出てもらえませんか?」と声が掛かります。

私のような自由業だと美味しい話は、そうそうないのですが、

収益的には渋い仕事でも、こなしていれば次の仕事に繋がるのです。

それは、現代だけではなく三国志の英雄、劉備にも繋がる話でした。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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あちらこちらで顔が利く劉備

あちらこちらで顔が利く劉備

 

正史三国志の劉備(りゅうび)は、傭兵隊長(ようへいたいちょう)としてあちこちの群雄に仕えています。

それは、公孫瓚(こうそんさん)劉表(りゅうひょう)袁紹(えんしょう)曹操(そうそう)呂布(りょふ)と多彩な顔触れであり、

劉備の生涯を追うだけで三国志の前半は語れる程です。

しかも、これらの群雄は、互いに敵対しており、劉備はその間を泳ぐようにして

乱世を生き抜いているのです。

どうして、劉備には、そのような事が出来たのでしょうか?

 

 

 

刺客まで接待して帰した桁外れのサービスぶり

刺客まで接待して帰した桁外れのサービスぶりな劉備

 

劉備がこうまで広い交友関係を持てた理由

それは劉備が非常に人当たりのよい人物であった事が影響しています。

簡単に言うと、劉備は常に控え目であり、人の話をよく聞き、

逆に自分は語らず、喜怒哀楽が顔に出る事なく長者の風がありました。

 

いつも、のんびりとした雰囲気で自分は謙虚で言葉少なく、

人の話をよく聞くような人なら、そりゃあ友達も多いでしょう。

さらには劉備、若い頃には自分を殺しにきた刺客を

それと知らずに歓待してしまい、殺すに忍びなくなった刺客は

自分の正体を明かし去ったという話もあります。(魏書)

この(けた)外れのサービスぶりは劉備の大きな特徴です。

 

激動の時代を生きた先人たちから学ぶ『ビジネス三国志

ビジネス三国志  

打算の無い親切さが福を呼ぶ

打算の無い親切さが福を呼ぶ陳平

 

人間は案外ズルいものですから、今をときめくような人には、

良い顔をしますし、出来るだけ便宜(べんぎ)を図り顔を売ろうとするでしょう。

でも、そういう時だけ良い顔をするのは上手くいきません。

何故なら、時の人というのは、たくさんの人がちやほやするからで

余程の人物でない限りは、あなたの親切など覚えてないからです。

 

劉備はよく打算的な人だと言われますが、前述したように

勘違いで刺客まで接待するような底抜けのお人好しの一面があります。

こうして、分け隔てなく様々な人物を厚遇したからこそ、

多くの人が劉備を覚えており、いざ困ったという時に、

手が差し伸べられるという幸運に浴したのです。

 

 

落ち武者の分際で袁紹の上客待遇の不思議

落ち武者の分際で袁紹の上客待遇の不思議な劉備

 

そんな劉備、西暦200年曹操暗殺計画に失敗して青州に逃げていきました。

しかも途中で徐州で反乱を起こして敗北、義弟の関羽(かんう)は曹操に捕まり、

張飛(ちょうひ)は行方不明という完全な落ち武者状態です。

 

しかし、青州刺史の袁譚(えんたん)は落ち武者劉備に対して歩騎を整えて

丁重にお出迎えして共に平原まで随行したのです、話はそれで終わりません。

袁譚から劉備を連れて来た事を知らされた袁紹(えんしょう)は部将を派遣して奉迎し、

自身も本拠地の(ぎょう)から二百里先まで出迎えているのです。

袁紹と顔良

 

当時の袁紹は北方四州を平定し、いよいよ曹操と雌雄を決しようという絶頂期

飛ぶ鳥を落とす勢いの袁紹がどうして落ち武者の劉備をそこまで厚遇するのか?

それは、劉備が平原の相だった時代に袁譚を役人として推挙していたからです。

 

袁譚にとっては、劉備は自分を官途につけてくれた恩人ですし、

もちろん袁譚の父である袁紹も無下(むげ)には出来ません。

そのまま劉備は客将に収まり、官渡の戦いでは袁紹を援護するのです。

 

 

情けは人の為ならず

情けは人の為ならずな劉備

 

ここで腹黒く、あちこちで打算的に顔を売る劉備を想定するのは簡単です。

ですが、劉備が袁譚を茂才(ぼうさい)で推挙したのは何年も前であり、

後々に自分がお落ち武者になると想定していたわけではありません。

 

精々、袁譚の父の袁紹は実力者だから恩義を売っておこう程度でしょう。

それが、曹操に敗れ窮地に陥った劉備を救ってくれたのです。

 

情けは人の為ならずと言いますが、助けられる余力があるなら、

割にあわなくても、あちこちで恩を売った方がいいのです。

助けてもらった人は、こちらの親切をずっと覚えていて

いつか、こっちが困った時に、助け船を出してくれるかも知れません。

 

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袁術くんの成長日記

 

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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