孫策は若くしてなくなってしまいますが、意外にも息子が存在していました。
孫策の息子の名前は孫紹と言います。
孫策の家系の中で、唯一孫策の直系の男子ですが、結構不憫な扱いを受けていたのです。
どうして孫紹は不憫な扱いを受けていたのでしょうか。
孫紹の息子は何をした人なの!?
孫策の息子・孫紹は一体何をした人なのでしょうか。
孫紹は孫策の死後、孫権が皇帝の位に就任すると呉侯の位を貰うことになります。
孫紹は、孫策のように勇猛果敢な人物ではなく、文官としてその能力を発揮することになります。
孫紹は孫呉の重臣・張昭や滕胤達とともに周王朝時代や漢王朝時代の儀礼に関して調べ、孫呉の朝廷の儀礼制定に貢献。
このように孫紹は戦場で兵士を指揮して敵軍を打ち破るような能力発揮するのではなく、文官方面に能力を発揮した人物でした。
孫策の息子はいい待遇をもらえなかった!?
孫策は孫呉の基盤を作り上げた人物として知られていますが、孫策の息子・孫紹はあまり孫権から厚遇されませんでした。
どうして孫権は孫策の息子を厚遇しなかったのでしょうか。
正史三国志の作者・陳寿は「孫権は孫策をあまり尊敬していなかったから孫策の息子に対しても侯の位を与えるだけにとどめたのではないのか」と正史三国志に記載しております。
確かに孫策が孫呉の礎を築いたことを鑑みれば、孫権が孫策の息子に対する扱いをもうちょっと良くても(例えば王の位を与えるとか)いいと思えませんか。
でも本当に孫権が孫策を尊敬していなかったのでしょうか。
また孫権はどうして孫策の息子を厚遇しなかったのでしょうか。
孫権が孫策を尊敬していなかったのか!?
孫権は本当に孫策を尊敬しなかったのでしょうか。
レンの推測ですが、孫権は孫策を十分に尊敬していたと思います。
正史三国志の記載によれば孫策は孫権に対して意見を高く評価していたとの記載や孫策が宴会を行った時、孫権に対して「ここにいる武将達は全員お前のモノになるのだからな」と述べている記載もあります。
更に孫権は孫策と共に行動していたはずであり、彼が江東一帯を一挙に制圧しているところも見ており、これだけの偉業を成し遂げている兄の姿や自分に対する兄の態度を見ていれば、孫権が孫策を尊敬していた可能性の方が高く、尊敬していたと思われます。
では孫権が孫策を尊敬していたと仮定して、どうして孫紹を厚遇しなかったのでしょうか。
国家を混乱させないため
孫権が孫紹を厚遇しなかった理由は孫呉の国家を混乱させないためでした。
歴史家の孫盛は「国家をしっかりと治めるためには紛らわしさをなくすのが一番だ。
また国家がしっかりしていない時であれば一族が結束して国を盛り立てて行くのが国家を長続きさせていく秘訣である。
そのために孫権は孫策の息子・孫紹に対して敢えて厚遇せず、孫権の息子達と孫策の息子に爵位でしっかりとメリハリを付けることで、
孫権に不満を持った人物達が孫紹を担いでよからぬことを企てないようにしたのである。
孫権のやり方は100パーセント正しいやり方ではないが、このようにすることで国家を長く保全したことを考えれば、致し方ないことだ」と述べております。
ここに記載した孫盛の言葉が孫権の心情を物語っているのではないのでしょうか。
三国志ライター黒田レンの独り言
孫紹は不憫だったわけではなく、孫権が国家を優先的に考えしっかりと国を保っていくため、
敢えて孫紹を厚遇しなかったと言えるのではないのでしょうか。
また孫紹も孫権のやり方にたいして不満を抱いているような記載がないことから、彼も孫権のやり方に納得し、
支持していたと考えるのが妥当ではないのでしょうか。
■参考 正史三国志呉書等
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