数年前に日本のいくつかのテレビ局で放送され、今でもネット配信やDVD等で見ることのできる中国ドラマ「三国志 Three Kingdoms」
三国志演義のストーリーに沿いつつも、ところどころ正史寄りの穿った考察もほの見え、登場人物たちがえんえんと謀略を語るシーンが印象的な、独特な雰囲気を持つ三国志ドラマです。呉の呂蒙が若くして亡くなるシーンでもこのドラマお得意の謀略描写があり、呉主・孫権が陰険すぎるおじさんになっています!
三国志演義の呂蒙急死のてんまつ
まずはドラマの元ネタの三国志演義でどうなっていたかを振り返ってみましょう。西暦219年当時、蜀の劉備の弟分の関羽が荊州南部を占拠していました。呉は荊州を奪取するために関羽討伐の軍を興し、関羽を捕らえて斬首しました。この時、討伐軍の総指揮をとっていたのが呂蒙です。
祝勝会の宴席で、孫権が呂蒙の功績を褒めながら杯を与えると、呂蒙はふつうに飲もうとしたのですが、突然杯を地べたに投げつけて孫権をむんずとつかみ、わめきはじめました。「碧眼の小児、紫髯のネズミめ! わしが誰だか分かるか!」
孫権を押し倒し、上座にどっかりと座り、目を見開いて言葉を続けます。「黄巾を破ってよりこのかた、天下を往来すること三十余年、貴様の奸計に陥ることとなった。生きて貴様の肉を食らうことはできないが、死して呂賊の魂を奪ってやろうぞ。我こそは漢寿亭侯・関雲長なり!」言い終わると、呂蒙はばったりと倒れて体中の穴から血を流して死んでしまいました。関公の呪いだ……!
三国志 Three Kingdomsでは
三国志 Three Kingdomsでは、呂蒙が亡くなる場面は描かれていません。それより前、関羽討伐戦の時、もともとこの戦いに乗り気ではなかった孫権は、呂蒙に伝令を送りました。「関羽を殺してはならぬ」と。しかし伝令が着いた時、呂蒙はすでに関羽の首を斬ってしまっていました。さて、呂蒙の凱旋を迎えに出てきた孫権。
言葉の上では呂蒙をねぎらいながらも、ちょっぴり嫌そうな顔をしています。関羽の首を見ると、こんなことを言いました。「このたびの戦いは、曹操軍の協力、つまり徐晃・曹仁ら十万の荊州兵の奮闘がなければ、関羽を破ることは難しかったとは思わぬか?関羽の死は曹操の手柄とするべきであろう。来月の五日は曹操の六十五歳の誕生日じゃ。ただちに早馬を送り、関羽の首を許昌に送れ。最高の誕生日プレゼントになろう」こう言われ、少し怪訝そうな顔をしながらも命令を受ける呂蒙。会話が一段落し、孫権に率いられて建物の中に向かいます。これが三国志 Three Kingdomsに出てくる呂蒙の最後の生きている姿です。
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晴天の霹靂
関羽討伐戦で呂蒙と一緒にいた陸遜は、合戦終了後、呂蒙とは別行動になり荊州に駐屯していました。そんな陸遜のもとに、孫権から一通の手紙が届きます。《呂蒙将軍が重病のため至急建業へ来て欲しい》はて、このあいだまでは元気そのものだったが、と首をかしげながら建業に向かう陸遜。陸遜が建業に着くと、孫権は陸遜を自分のところに来させる前に、張昭にこう命じました。
「先に陸遜を連れて呂蒙大都督を訪問してくるように」
張昭は「はあ」というようなあいまいな返事をしながら退出します。さて、陸遜が案内されるままに建物の中に入って行くと、中には張昭が立っており、横の寝台には頭から布団をすっぽりとかぶった人間が横たわっているようです。
陸遜「容態はどうなのですか」
張昭「自分で見るがいい」
陸遜がおそるおそる布団をめくってみるとし、死んでる……!
孫権に背く者には死
「私はご主君に呼ばれたはずです。ここへ来させてどうしようというのですか」
「見るべきではなかったというのではあるまいな。大都督がどのようにして亡くなったか知りたくないのか。陸遜よ、大都督は主君の命に背き、独断で呉を危地に陥れたのだ。死んだところで天の報いであろう。この年寄りのみたところ、呉は軍を整えなおすことが必要だ。行け、主君が待っておる」
これはつまり、呂蒙が孫権の制止を聞かずに関羽を殺して蜀の恨みを買ったから、孫権が怒って呂蒙を暗殺したってことですね……。「軍を整えなおすことが必要だ。行け」という言葉の意味は、今後は陸遜が孫権の意に背かないようにしながら大都督を継ぐのだぞと言っているわけです。孫権の意に背いたら、死んだところで天の報いらしいです。
陸遜の静かな怒り
陸遜が孫権に目通りすると、孫権はすっとぼけてこう言います。「陸遜よ、呂蒙は過労で病になり早世した。呉はまたも柱を失ってしまった」
「……私も悲痛な思いでおります」
「これも天命と受け入れるしかない。呂蒙の職を継ぎ呉の大都督を担うことができるのは誰だと思うか」
「大都督の職は呉の戦時の最高司令官であります。
現在は情勢が落ち着いておりますので、大都督の職は設けずともよろしいかと。
今は三軍を整え糧食や物資をたくわえることに専念し、戦火がおこった時に慎重に選ばれるのがよろしいと存じます」
「よし、そうしよう」
「もう一つお願いがございます」
「なんじゃ」
「大都督の職を設けないのでしたら、副都督の職も廃止すべきかと」
「なぜじゃ」
「私はもとは一介の文人にすぎず、兵を率いる才などございません。
主君の恩准をたまわり故郷へ帰り、門を閉ざして読書に専念させていただきたいと存じます」
陸遜は副都督だったんですね。で、それを辞めたい、と。
孫権は一瞬むぐぐぐというような表情をしますが、こう返事をします。
「ゆるす」
「失礼いたします」
さっさと退出する陸遜。
孫権のやり方に愛想を尽かして、彼のために働くことを拒絶したのですね。
孫権は、なんだいあいつ、みたいな表情で陸遜を見送りますが、あまり表情を変えません。
そうして、張昭に対し、おもむろにこう言います。
「子布よ。わしは位にあること十年あまり、絶えず大都督の制約を受けてきた。やっと本物の主君になれたぞ」
三国志ライター よかミカンの独り言
三国志 Three Kingdomsの孫権は、大都督たちの暴走に業を煮やしているという設定なんですね。で、とうとう呂蒙を暗殺した、と。対立や暗殺はしかたなかったのかもしれませんが、態度がちょっと気持ち悪すぎませんかね……。すっとぼけて「呂蒙は過労で病になり早世した」なんて言うなんて。
それに対して、声を荒げることもなくサボタージュに入る陸遜の静かな反抗は、見ていてちょっと爽快でした。孫権も張昭も人でなしで、陸遜だけが人間らしい心を持っているような感じです。なんなんですかねぇ、この演出。ただでさえ人気の陸遜。三国志 Three Kingdomsさん、このうえ陸遜ファンを増やしてどうするつもりですか……。
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