これまで触れてきました諸子百家の思想は、
その多くが戦乱の時代を勝ち抜くために国家はどうあるべきかを論じる、
政治的あるいは軍事的な要素を多分に含むものでした。
それでは、軍事そのものを題材とした思想というものはあったのでしょうか?
もちろん、存在します。
諸子百家においては兵家(へいか)とよばれる思想家の唱えるものがそれです。
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戦の勝敗を決めるのは天の意志ではなく人間である
兵家の思想を記した書物は多く残されていますが、その代表的な存在が『孫子』です。
『孫子』は紀元前500年頃(春秋時代)、当時の呉に仕えた人物、孫武が記したとされる書物です。
実は孫武以前の時代には、戦の勝敗は天運によって左右されるという考え方が大勢をしめていました。
『尉繚子』という兵法書の一節、“天官編”にこんな話が書かれています。
ある時、楚の国の将軍であった公子心(こうししん)という人物が、
斉の国の軍勢と戦おうとしていました。
しかし決戦の前日の夜、空には彗星が輝いていました。
彗星の尾は斉の方向を向いています。
この時代、彗星の尾が向く方向は天運を得ていると考えられており、
天官(天文を調べる役人)は公子心に戦ってはならないと忠告しました。
これに対して公子心は「彗星がいったい何を知っているというのだ?
そんな運命は俺がひっくり返してやる」と答え、
翌日、斉との戦いで大勝を収めたといいます。
このような事例に見られるように、その時代、
戦争を行うに際してはまず天文を調べて天の意志が敵と味方、
どちらに向いているかを調べるのが当たり前でした。
これを根本から否定し、戦争には勝つ理由と負ける理由があることを論理的に説明したのが、
孫武の記した『孫子』でした。
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4つのタイプに分けられる兵家
春秋戦国より後、後漢王朝の時代に偏差された歴史書『漢書』では、
兵家を大きく4つのタイプに分類しています。
兵権謀家
国家的な計略の視点から戦争全体を俯瞰して大局的な戦略として扱う者。
孫武やその子孫とされる孫臏(そんびん)、法家としても知られる商鞅(しょうおう)、
漢の高祖劉邦の家臣であった韓信などが該当するとしています。
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兵形勢家
局地的において、速攻と変幻自在な用兵をもって敵を打ち破る者。前線指揮官タイプ。
神話上の存在である蚩尤(しゆう)や、劉邦と覇権を争った項羽の名前があげられています。
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兵陰陽家
陰陽五行の思想に基づく、超自然的な兵法を用いるとされる者。
兵技巧家
軍隊の戦い方ではなく、己自身の武術を磨く者
日本への伝来と普及
日本には奈良時代に『孫子』が伝来していたことが『続日本紀』の記述にありますが、
当時の貴族階級の教養として広まる一方、実戦の場で『孫子』を活用する者はほとんどいませんでした。
これは、当時の日本の合戦が中国のような集団戦闘というよりも、
個人の技量がすべてを決する一対一の戦いが基本になっていたためでした。
日本で孫子を始めとする兵家の思想が積極的に取り入れられるようになったのは、
戦国時代、足軽を中心とする組織戦が一般化してからでした。
徳川幕府の時代には兵家の思想が『兵学』と呼ばれる学問として隆盛を極めます。
宮本武蔵は兵家だった?
ところで『兵法書』と言われて、日本の有名な剣客、
宮本武蔵の『五輪書』を思い出す人も多いのではないでしょうか?
宮本武蔵は『兵法家』と呼ばれていますが、中国の兵家=『兵法家』とはまったく別です。
中国の『兵法家』は『へいほうか』と読み、先に上げた兵家の思想家を指す言葉です。
これに対し日本の『兵法家』は『ひょうほうか』と読み、己の剣技を磨き、
その極意をつたえる剣客を指す言葉です。
宮本武蔵は『ひょうほうか』であって『へいほうか』ではないわけです。
ちょっと、ややこしい話ですね。
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