呉の将軍で孫権に可愛がられた凌統。凌統は孫呉の将軍として武勇に優れた人物ですが、武勇に優れていただけでなく、人が大好きな人物でした。今回は凌統がどれくらい人好きだったのか紹介したいと思います。
夜中でも人を迎える人好きな凌統
凌統の人好きが伺えるエピソードが残っているので紹介したいと思います。孫権は凌統と同郷で優れているとの噂されていた人物を配下として登用。この人物は凌統が孫権の配下とつかえていたので、淩統の家へ挨拶に伺ったそうです。
しかしこの人が凌統の家へ挨拶に行ったのが、真夜中で普通の人ならぐっすり眠っている時間でした。もちろん凌統も普通の人と同じように家で爆睡。家の使用人は淩統の同郷の人物があいさつに来たこと事を知り「凌統様。先日孫権様に仕えた同郷の方があいさつに来ていますけどどうしますか」と凌統を起こして尋ねます。
すると凌統は「ありがとう。すぐに起きて彼にあいさつするよ」と言ってその人物と会うと嫌な顔一つしないで、彼をもてなしたそうです。また凌統にはこのような逸話が残っています。
異民族達を吸収するための政策を実行
孫呉が領土としている江東(中国の南の地域)には多くの異民族達が存在。異民族達は孫呉の支配を嫌って何度も反乱を起こし、孫呉を困らせていました。孫呉は反乱を起こす異民族を討伐するために何度も軍勢を送って反乱を鎮圧し、凌統も異民族討伐戦に参加。
淩統は異民族を討伐して反乱を鎮圧するのではなく、異民族達を仲間にしてしまえばいいんじゃないかという発想をひらめきます。凌統は自分のひらめきを実行するため、異民族達へ色々な施しを行って、彼らが保有している兵士たちを吸収することに成功。
このように凌統は有名人だけでなく、異民族にも興味を持っていた人物でした。
故郷の人々にも優しく接する凌統
凌統は精鋭部隊を率いていると故郷の近くを通過することがありました。その際凌統は故郷に立ち寄って、知り合いの役人たちがいると丁寧にあいさつをして再会を喜び合っていたそうです。
さらに凌統は民衆の中で知り合いを見つけると歓迎し、手厚くその人物をねぎらっていたそうです。そのため凌統の故郷の人々は彼を慕っていました。凌統は優秀な人物だけでなく、異民族や民衆にも優しく接しており、政治家としても優秀な人材だったと思われます。
三国志ライター黒田レンの独り言
凌統と言えば合肥の戦いで、孫権を守るため張遼軍の兵士たちと激闘を繰り広げた武勇に優れた人物として知っている方が多いと思います。しかし凌統はここで紹介したように人がとっても好きで、政治家としても優秀な人だったのかもしれません。どうして人が好きな方が政治家として優秀なのか。
それは人が好きであるならば、相手の気持ちを汲むことができ、どのような政策が効果的なのか考えることができるからです。三国時代の民衆は政治家が行った政策に不満がれば、反乱を起こしてしまいます。そのためその土地を治めるには、統治する民衆の気持ちになって行わなければならず、人が好きな人物が政治家として成功している場合が多くあります。
たとえば合肥城を統治していた劉馥は、何もないところから始めていますが、民衆の気持ちになって、教育制度、農業制度などの政策を行った結果、多くの民衆が合肥城に集まることになります。凌統も劉馥のように政治家として県や国を治めていれば、政治家として実績を残したかもしれません。また淩統は有能な人材と付き合っていたため、彼が率いていた部隊には多くの優秀な部隊長がいたと思われ、黄祖討伐戦などで戦功を挙げることができたのではないでしょうか。
凌統は49歳という若さで亡くなってしまいますが、もし彼が50後半まで生きていれば、孫呉の重鎮として呂蒙や陸遜と肩を並べて大きな戦でも活躍していたことを想像するとかれの若すぎる死にショック受けた孫権の気持ちも少しはわかるかもしれませね。
■参考 正史三国志呉書など
関連記事:よく皖城で共闘できたね?三国志史上最凶に仲が悪かった甘寧と凌統
関連記事:凌統(りょうとう)ってどんな人?本当は甘寧と仲直りしてないよ