現在の中国・湖北省と湖南省周辺を指す三国時代の荊州。湖北省は武当山、古隆中、神農架、荊州古城などの観光地がひしめいています。湖南省には現在の中国紙幣の20元札に描かれている「張家界」という名所が存在。これぞ中国と呼ばれる水墨画の風景が眼前に広がります。
そんな荊州で魏・呉・蜀の代表が総選挙を実施したら、どうなっていたでしょうか。三国演義を土台にif三国志を紹介していきます。
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北の覇者・曹操のマニフェスト
赤壁の戦いが始まる前、荊州の北側を占有していたのは曹操です。蜀や呉にとって曹操が長江を超えて、のさばるのは我慢がなりませんでした。そんな軍事力を誇る曹操ならば、きっと豊かな暮らしができると思った農民も多いはず。
その証拠として長江の北側は肥沃な大地が広がり、民も裕福でした。これらの資源を元に荊州一帯を曹操の統治下に置けば、きっと暮らしもよくなる。そうした妄想が民の脳裏によぎったかもしれません。
荊州の中心地を守っているのは関羽だが、蜀は国家ですらない。貧しい南側の土地を多く持っているだけで消費税はきっと上がるだろう。曹操にまかせれば、今の税率をきっと維持できるはずです。
公約は「覇道をもって中原を制す」。さあ、みなさん曹操に一票を投じましょう。
一方で民衆からは「赤壁の戦い」での惨敗の責任をどう取るのかと質問が上がっています。
あんなに船を運んできたのに疫病でやられたなんて全く頼りにならない。
今度、呉が攻めてきたらどうするんだとの批判も浴びています。やはり、曹操にとって赤壁の戦いでの敗北は痛手だったようです。
麗しき周瑜のマニフェスト
呉から代表として名乗りを上げたのは周瑜でした。長江を突破した曹操を劉備との連立政権で撃退。荊州の北側は一時、呉の支配が及んだほどです。
そんな若き周瑜にこそ荊州の代表にふさわしい。曹操は所詮、北の人間です。水郷の町を整備、改良する公共工事などできるはずがありません。
ここは水軍の力を持つ呉の周瑜にまかせるのが名案でしょう。マニフェストは「華麗に成敗!」
民衆からはせっかく劉備と連立政権を組んだのに反故にしているじゃないかと批判が殺到。そんなフラフラした政権なんか信用できるかとの罵声も浴びています。しかし、持ち前の美しさで周瑜は見事に回避。女性の有権者から黄色い声援を受けています。
軍神・関羽のマニフェスト
曹操や周瑜がどれだけきれいごとを並べようと実際に荊州の中心地を守っていたのは軍神・関羽です。過去に曹操とのつながりもあり、北から攻められる心配もありません。
孫権の息子がのこのこやってきて娘と結婚するよう催促しましたが、頑固親父・関羽は返答すらしませんでした。呉のなよなよした男に自分の娘などやってたまるかという勢いです。そんな屈強な関羽が荊州にいれば、ひとまず安泰。
この戦乱の世において必要なのは兵力。100人ぐらい攻めてきても関羽が仁王立ちすれば遁走するはずです。それぐらい関羽の異名は三国に知れ渡っており、敵でさえ崇拝している武将がいるくらいです。
もはや人智を超えた存在、神です。この関羽にこそ荊州防衛はふさわしい。選挙公約は「一騎当千」です。
民衆からは土地はあるけど荊州の南側の安い土地ばかりではないかと質問が出ています。そんな資金力では消費税も上がるに違いないと、おばちゃんからの批判も。力があっても経済力がないとねぇと、突き刺さる一言にも眼力で一蹴。
どうやら、支持率が下がったようです。
三国志ライター 上海くじらの独り言
選挙で重要なのは地盤、看板、カバンです。地盤は地元でのサポーター。看板は知名度。カバンは財源です。
曹操は看板とカバンはありますが、地盤があるのは関羽でしょう。周瑜は地盤とカバンはありますが、看板がやや弱いです。しかし、資金が豊富なのは荊州の北側の支配権を握る曹操か周瑜です。
いくら民に慕われていても関羽は投票数が伸びないでしょう。すると曹操と周瑜の一騎打ちとなります。名前が通っているので曹操の方が有利ですが、赤壁の戦いで大敗を喫しています。
ここは若手勢力の周瑜が当選するでしょう。また、呉はよく作物が取れるので資金面から見ても消費税が上がる心配もありません。
参考文献:「三国演義(中国語版)」羅貫中、「交通旅遊中国地図冊(中国語版)」湖南地図出版社
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