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宇文泰ってどんな人?劉禅配下の姜維を祀った西魏の政治家

2020年5月13日


 

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劉禅

 

蜀(221年~263年)の炎興(えんこう)元年(263年)に蜀は(220年)の鄧艾(とうがい)の攻撃を受けて降伏。ここに劉備(りゅうび)が建国した蜀は滅亡しました。

 

殺害される姜維と鍾会

 

しかし魏の咸熙(かんき)元年(264年)に蜀の遺臣(いしん)である姜維(きょうい)は魏の将軍の鍾会(しょうかい)とタッグを組んで反乱を計画しました。だが、反乱は失敗に終わり姜維も鍾会も殺害されてしまいます。

 

宇文泰(異民族)

 

やがて時は流れて西魏(せいぎ
)
(535年~556年)宇文泰(うぶんたい)という人物が姜維を(まつ)って開明(かいみょうおう)と贈ります。ところで、姜維を祀った宇文泰とは何者でしょうか?

 

今回は宇文泰について解説します。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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匈奴系の子孫

総大将になる宇文泰(異民族)

 

宇文泰は漢人(かんじん)ではありません。「宇文(うぶん)」という名字は匈奴(きょうど
)
系の異民族が使用しているものです。ちなみに宇文泰は三国時代(220年~280年)でも西晋(せいしん
)
(265年~316年)の人物でもなく、北魏(ほくぎ
)
(386~534年)末から西魏初期にかけての政治家です。若い時は父に従い挙兵しますが、父が戦没すると今度は賀抜岳(がばつ がく
)
という武将のもとで働きました。

 

武帝は前漢の第7代皇帝

 

建明(けんめい)元年(530年)にそれまで北魏の実権を握っていた爾朱栄(じしゅえい)が北魏第9第皇帝孝荘帝(こうそうてい
)
により殺害されます。孝荘帝は間もなく、爾朱栄(じしゅ えい
)
一派により返り討ちにあいました。後を継いだ皇帝たちは弱体であり長続きしません。だが、第13皇帝孝武帝(ぶてい)の時代までには爾朱栄一派の殲滅(せんめつ)に成功しました。この時、孝武帝が寵愛(ちょうあい)したのは宇文泰の上司の賀抜岳です。賀抜岳と仲が悪かったのは高歓(こう かん
)
という人物であり、高歓は賀抜岳の排除を考えました。

 

北魏の分裂

暗殺に成功する聶政

 

永熙(えいき)3年(534年)に大事件が起きました。宇文泰の上司である賀抜岳が、高歓が放った刺客の手にかかり殺害されたのです。上司を失ったことで軍中は大混乱!この時にみんなが次の総大将に祭り上げたのが、宇文泰です。

 

宇文泰は孝武帝に対して高歓を討つことを表明!一方、高歓も新しい皇帝として孝静帝を擁立。ここに北魏は東西に分かれました。高歓が率いた魏を後世の史家は東魏(とうぎ
)
(534年~550年)と呼びます。宇文泰は最初は孝武帝と協力していましたが、勢力を拡大するにつれて孝武帝(こうぶてい
)
と仲違いするようになりました。

 

最終的には孝武帝を殺害。普通ならば自分で新しい王朝を創ってもおかしくないのですが、宇文泰はそれをせずに北魏の一族から皇帝を擁立しました。

献帝を傀儡化する曹操

 

もちろん皇帝は傀儡(かいらい)です。この点は曹操(そうそう)に似ています。後世の史家は宇文泰が率いた魏を西魏(せいぎ
)
と呼んでいます。

 

西魏から北周へ

文帝(前漢)

 

宇文泰は生前に様々なことを行いました。独狐信(どっこ しん
)
などの異民族官僚を軍隊で抜擢します。独狐信の七女は(ずい)の初代皇帝文帝の皇后、四女は唐の初代皇帝李淵(り えん
)
の母です。異民族だけしか利用しなかったのかと思えばそうでもなく、実は漢人に対しても平等に扱っており漢人官僚の抜擢にも努めていました。

 

これだけのことをやったのに、彼は皇帝になりませんでした。もちろん自分だってなりたかったでしょうが、寿命があるので後世の人に託すことにしたのでしょう。西魏の恭帝(きょうてい)3年(556年)に宇文泰はこの世を去りました。53歳の生涯でした。後を継いだ子の宇文覚が西魏を自然解体させて新しい王朝である北周(ほくしゅう
)
(556年~581年)を誕生させます。

 

南北朝史ライター 晃の独り言

三国志ライター 晃

 

今回は超絶マイナーキャラである宇文泰について解説しました。ウィキペディアで宇文泰の名前を見た時に、絶対にやりたいと思いました。なんとかやる機会がないか模索していましたが、こうやって執筆することが出来ました。またいつか書く機会があれば挑戦したいです。

 

※参考文献

・大川富士夫「西魏における宇文泰の漢化政策について」(『大正大学文学部論叢』7 1957年)

・谷川道雄「拓跋国家の展開と貴族制の再編」(『岩波講座世界歴史5 古代5』岩波書店 1970年)

 

※はじめての三国志では、コメント欄を解放しています。この記事以外のことでも、何か気になることがあったら気軽にコメントしてください。お答え出来る範囲でしたら回答いたします。

 

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北宋・南宋

 

 

 

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晃(あきら)

晃(あきら)

横山光輝の『三国志』を読んで中国史にはまり、大学では三国志を研究するはずだったのになぜか宋代(北宋・南宋)というマニアックな時代に手を染めて、好きになってしまった男です。悪人と呼ばれる政治家は大好きです。
         好きな歴史人物:
秦檜(しんかい)、韓侂冑(かんたくちゅう)、 史弥遠(しびえん)、賈似道(かじどう) ※南宋の専権宰相と呼ばれた4人です。
何か一言: なるべく面白い記事を書くように頑張ります。

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