広告

【麒麟がくる】戦国時代に実際にあった薬を紹介

2020年9月25日


 

はじめての三国志コメント機能バナー115-11_bnr1枠なし

駒(麒麟がくる)

 

いよいよ放送再開されたNHK大河ドラマ「麒麟(きりん)がくる」

 

軟禁されていた駿河で(こま)が知り合ったのは、万病に効く丸薬を貧しい庶民に与えている正体不明の老人、芳仁(ほうじん)でした。京都に戻った後も、駒は芳仁に教わった丸薬を造って貧しい庶民に与えていましたが、その事で東庵と喧嘩になり、診療所を出ていってしまいます。

 

では、戦国時代、実際にはどんな薬があったのでしょうか?

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


【誤植・誤字脱字の報告】 バナー 誤字脱字 報告 330 x 100



【レポート・論文で引用する場合の留意事項】 はじめての三国志レポート引用について



戦国大名朝倉氏の家薬 生蘇散

朝倉義景

 

最初に紹介するのは、明智十兵衛が居候する越前朝倉氏の家薬(かやく)生蘇散(せいそさん)です。

 

生蘇散は、近年、熊本県で発見された針薬方に記載された薬で処方は

 

芭蕉(ばしょう)の巻き葉、②スイカズラ、③黄檗(おうばく)、④山桃(やまもも)の実と皮の5種類。

この材料を黒焼きにして粉砕し、同じ分量を油を繋ぎとして混ぜ合わせれば完成です。

 

山桃の皮は、季節ごとに加減し春冬は等分で、夏は多めに入れるのがポイントで、その使い道は、貝の殻の中に入れて戦場で負った切り傷に使いました。

馬にのり凱旋する将軍モブ

 

戦国時代は絶え間ない戦乱の時代であり、全国の武家は生傷が絶えない毎日を送ります。その中で、次第に薬の知識が必要とされ各々の武家に家伝の薬が誕生しました。

 

越前朝倉氏も、若狭、美濃、飛騨、加賀と抗争を繰り返しており、医学についての興味は非常に強かったのでしょうね。また、近年の発掘で越前朝倉氏の本拠地一乗谷には、医師が住む区域がある事が分かっていて、生蘇散も医師の手で一定数生産されていたのかも知れません。

 

戦国のプラセンタ 混元丹

オランダ人の踊り子、マタ・ハリ

 

ブタやウマ由来のプラセンタは、美容と健康に欠かせないとして特に女性に人気ですが、戦国時代には、元祖プラセンタである混元丹(こんげんたん)という薬がありました。

 

16世紀初頭、室町・戦国時代に西中国~北部九州一帯を支配した大内氏。その大内氏の影響下の安芸を統治した有力家臣が杉弘相(すぎひろすけ)です。こちらの杉弘相の家臣、乃美備前守(のみびぜんのかみ)が戦争で手柄を立てた時に、弘相が感謝状と共に贈ったのが、戦国のプラセンタ混元丹です。

 

もう一度、申し上げます。

混元丹を一貝差し上げます。

委しい事は宮内兵庫助(みやうちひょうごのすけ)が親しく申すでしょう。

それにしてもあなたの戦場での御高名は

とてもとても素晴らしく、

手紙に書き尽くせるものではありません。

 

西遊記巻物 書物_書類

 

ここで言う混元とは哺乳類の胎盤(たいばん)でプラセンタを意味し、丹とは赤を意味します。そのため、混元丹は赤色の丸薬か赤い練り薬と考えられます。戦で大手柄を立てた比類なき乃美備前守を労うべく杉弘相は、お疲れ様の気持ちを込めて、混元丹を贈ったのですね。

 

麒麟がくる

 

坊主の施薬 豊心丹

 

戦国時代に興福寺のあった奈良県では、古くから薬の生産が行われていました。また、仏教寺院が多い事から、貧しい民衆に向けて施薬(せやく)と呼ばれる薬の施しがあったようです。

 

NHK大河ドラマ「麒麟がくる」でも、覚慶(かくけい)が民衆に体の具合はどうか?と尋ねるシーンがありますが、覚慶は施薬もしているのかも知れません。そんな大和国には豊心丹という薬があり、西寺寺の叡尊の創製(1242年)によると伝えられる薬です。

 

この薬の処方は金瘡秘伝(1578年)によると高麗人参、白檀(びゃくだん)沈香(じんこう)、ヒハツ、樟脳(しょうのう)縮砂(しゅくしゃ)(ちょうじ)木香(もっこう)、等々15種類で効能は、下痢、渋腹(しぶりばら)風気(ふうき)、頭痛、二日酔い、心気の疲れ、吐血(とけつ)、下血、子供の(かん)の虫等、万病に効くとされていました。現在では、ほとんど生産されていないようです。

【次のページに続きます】

 

次のページへ >

  • この記事を書いた人
  • 最新記事
kawauso

kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

-戦国時代 (日本)
-