戦国時代の映画やドラマ、ゲームでは当たり前に登場する軍師、思いつくだけでも、山本勘助や竹中重治、黒田官兵衛、小早川隆景のような名前が浮かびますが、実際は戦国時代には「軍師」という役職は無かったようです。
しかし!ページを閉じるにはまだ早い!kawausoは軍師という役職が無いと言っただけで、軍師の役割がないとは一言も言っていません。今回は、軍師の前身である軍配者の仕事を紹介すると同時に、それがいかに軍師へと移行していったかを分かりやすく解説します。
軍配者の仕事は兵士にやる気を出させる事
戦国時代の戦略や戦術で采配を振るった軍師のイメージは戦国時代の後期に出現した比較的に歴史が浅い存在です。それ以前に存在したのは、軍配者と言い、占いや祈祷、天候を読むという特殊能力で主君に仕えた存在でした。
21世紀の現代から見ると軍配者が司る占いや祈祷は、ただの迷信に映るかも知れません。しかし、合戦には多数の不確定要素がつきまとい、それにより勝っている合戦が負ける事も度々ありました。
現在でも、毎試合が真剣勝負であるプロ野球選手には、様々な縁起を担ぐ人が多い事が知られています。彼らは、決して全てを神頼みにしているわけではありませんが、道を究めたプロ同士の対決では、実力にはそこまでの差がなくジンクスが威力を発揮する事もあるのです。
ましてや、今よりも遥かに科学が進んでいない400年以上前の戦国時代には、兵士にやる気を出させる軍配者の存在はとても重要でした。
合戦前に軍配者がする儀式
軍配者は当初、神主や陰陽師のような神秘的な能力を持つ人々が選ばれました。いざ合戦が決まると軍配者は、陰陽五行の思想に基づき、出陣の日取りや方角を占います。
具体的には、大将の姓を、木・火・土・金・水の五行に当てはめ、そして戦う相手の姓を五行に当てはめ、それぞれの性質で合戦の吉凶を占います。例えば、木の属性を持つ姓を持つ大将は、火の属性を持つ大将には勝てないなどです。
それ以外にも季節や方向にも吉凶があり、北は不吉だとか神前で籤を引いて決めるとか、天文を占うとか雲の観察をするなどで合戦の気を感じ取りました。
武田信玄に仕えた軍配者、駒井高白斎の日記は、雲の観察記録が大部分を占めるようです。実は、天候を読むのは極めて重要でした。例えば火縄銃は大雨の中では使えず、その時には戦術を変える事を余儀なくされるからです。前もって、天候を予期するには合戦においてとても重要だったのです。
出陣の時
軍配者は出陣にあたり、敵調伏の祈祷を行い、戦勝祈願のセレモニーを主催します。出陣のセレモニーとは、戦国時代の映画やドラマでもよく出てくる、有名な三献の儀で大将が打鮑(乾燥させて平たく打ち延ばした熨斗鮑)、勝栗、昆布を肴に酒を飲む儀式です。
これは、敵を討ち(あわび)敵に勝ち(栗)よろこぶ(よろこんぶ)という縁起のよいダジャレです。ダジャレに厳しい人は、こんなベタなダジャレで?と思うかも知れませんが、面白いとかつまらないではなく、縁起担ぎなので怒らないでください。
多分、三献の儀だって、最初に産み出された時は、参加者全員が笑い転げたスーパーダジャレだったに違いないですよ。もう1つは、同じくダジャレで、矢をつがえないで弦を引き絞って放つ儀式もあります。これは、ひとつ打つで→ひとうち→人打ちに通じるようです。
いや、だから…ダジャレが面白いとかつまんないとか、そういう話じゃないんだってば!
出陣後の仕事
軍勢が出陣しても軍配者には休む時間はありません。合戦に至るまでに、次々と襲ってくる不吉かも?というアクシデントに対処しないといけないからです。
特に多いのは、強風で旗指物が折れるという事でした。この場合、折れるポイントが問題で、持っている部分より上が折れると吉、下が折れると凶でした。
兵士A「おやかたー!おらの旗指物が持ち手より下で折れただよー!
もすかして、今度の戦は負けるかもしんねえだ~おっかねえだよ~」
兵士B「ばか、あわてるでね!わしらには軍配さんがあるでよ。きっと凶を吉に変えてくれるだ!」
軍配者「怯えるでない、わしに任せておけ!はぁ~ほんだらはんだら、ぽんぽこピッピピキー!
うむ、これで悪運は去ったぞ、安心せよ」
兵士A・B「はあ~安心、安心!」
みたいな感じで不吉な兆候に怯える兵士のメンタル面をケアしたのです。これ以外にも、武者が鐙に足を掛けた時、馬がいななくのは凶とされましたが、その場合には、上帯と腹帯を結び直すと悪運を祓う事が出来たそうです。
そんなの言ったもんがちじゃね?と思うかも知れませんが、まあそうです。いかに理屈をこねまわし兵士の不安を和らげ士気をあげるか?が軍配者の仕事でした。
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