孫権(そんけん)がどうしても欲しかった合肥城「前半」を以前、掲載させていただきました。
読んでいない方はご覧ください。今回は「後半」を紹介していきます。
前回記事:孫権は何であれほど合肥城を狙い続けたの?理由をわかりやすく解説(前半)
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この記事の目次
再び敗れる孫権軍
合肥城攻略戦は第一回、第二回共に、なんの戦果も挙げられず、多大の犠牲と兵糧を消費するだけで終わってしまいます。
孫権は過去二回の失敗を全く気にせず、三度目の合肥城攻略戦へと出陣します。
彼は、いざ合肥に向かうと城が無くなっている事に気付きます。
調査員を派遣すると、河から離れたところに新しい城が出来ており、敵の総司令官の居城近くに築城されていました。
孫権は、どうすべきか迷いましたが、河から遠い場所に城を築城したのは、魏が弱気になったためと判断します。
彼は諸将に上陸を命じ、合肥新城に向けて出陣を開始します。
しかし、ある理由により、孫権軍は合肥新城に到達できませんでした。
突然ですが第一回はじさん三国志クイズ!!
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孫権軍が合肥新城に到達できなかった理由とは?
孫権軍は、どうして合肥新城に到達できなかったのでしょう。以下の三択から答えてにゃ。
1疲れたから帰った。
2伏兵に襲われた。
3孫権軍に落雷が落ちて、孫権が丸焦げになってしまった。
さぁお答えくださいまし。
はじめての三国志クイズの回答発表!?
正解は2番です。
孫権軍は対呉戦線総の司令官・満寵(まんちょう)が設置した伏兵により襲撃されました。
損害は軽微でしたが、孫権は軍の士気がガタ落ちした事を見て、退却を決意します。
また、なんの戦果を挙げる事無く合肥の地を後にします。
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