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孫権は何であれほど合肥城を狙い続けたの?理由をわかりやすく解説(後半)

2015年11月23日


 

孫権 弔い出陣

 

孫権(そんけん)がどうしても欲しかった合肥城「前半」を以前、掲載させていただきました。

読んでいない方はご覧ください。今回は「後半」を紹介していきます。

 

前回記事:孫権は何であれほど合肥城を狙い続けたの?理由をわかりやすく解説(前半)

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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【レポート・論文で引用する場合の留意事項】 はじめての三国志レポート引用について



再び敗れる孫権軍

遅れて来た孫権 英雄

 

合肥城攻略戦は第一回、第二回共に、なんの戦果も挙げられず、多大の犠牲と兵糧を消費するだけで終わってしまいます。

孫権は過去二回の失敗を全く気にせず、三度目の合肥城攻略戦へと出陣します。

彼は、いざ合肥に向かうと城が無くなっている事に気付きます。

 

調査員を派遣すると、河から離れたところに新しい城が出来ており、敵の総司令官の居城近くに築城されていました。

孫権は、どうすべきか迷いましたが、河から遠い場所に城を築城したのは、魏が弱気になったためと判断します。

彼は諸将に上陸を命じ、合肥新城に向けて出陣を開始します。

しかし、ある理由により、孫権軍は合肥新城に到達できませんでした。

突然ですが第一回はじさん三国志クイズ!!

 

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孫権軍が合肥新城に到達できなかった理由とは?

 

孫権軍は、どうして合肥新城に到達できなかったのでしょう。以下の三択から答えてにゃ。

 

1疲れたから帰った。

2伏兵に襲われた。

3孫権軍に落雷が落ちて、孫権が丸焦げになってしまった。

 

さぁお答えくださいまし。

 

まだ漢王朝で消耗してるの?

はじめての三国志クイズの回答発表!?

 

 

正解は2番です。

 

孫権軍は対呉戦線総の司令官・満寵(まんちょう)が設置した伏兵により襲撃されました。

損害は軽微でしたが、孫権は軍の士気がガタ落ちした事を見て、退却を決意します。

また、なんの戦果を挙げる事無く合肥の地を後にします。

 

【次のページに続きます】

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

三國志が大好きです。オススメのマンガは曹操を描いた蒼天航路がオススメです。三國志の小説のオススメは宮城谷昌光氏が書いた三國志です。好きな食べ物はマグロ、ぶり、アジが大好きな猫です。

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