この記事の目次
本気で攻めた合肥新城
蜀の諸葛孔明が、魏を討つべく北伐を敢行します。
孫権は、蜀が北伐した事で、呉の合肥方面の守備が、薄くなったと確信します。
彼はこのチャンスをいかすべく、魏国に三方面同時攻撃を仕掛けます。
本命の合肥には10万の軍勢を率いて攻める計画で、第二陣は陸遜と諸葛謹が1万の軍勢で、荊州の襄陽に攻め込みます。
第三陣は広陵などから魏の領地に侵攻します。
孫権は10万の軍勢で合肥新城を重囲した後、猛攻を開始します。
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満寵が再び奇策で孫権軍に襲いかかる
ここで「孫権キラー」の異名を持つ満寵が再び奇策で孫権軍に襲い掛かります。
満寵は、自ら決死隊を率いて、孫権軍の攻城兵器に火計を仕掛けます。
風が強く吹いていたため、攻城兵器は燃え盛り、孫権の甥であった孫泰(そんたい)は弓矢で射殺されます。
孫権は、多大な犠牲を出しますが、今回の合肥侵略は本気であったため、この程度では退きません。
呉軍は、攻城兵器を焼かれてしまいますが、合肥新城への攻撃は手を緩めず、猛攻をかけ続けます。
合肥新城は、呉軍の猛攻に耐え続けます。
孫権は、呉軍の火を噴くような猛攻を見て、合肥新城の守りは固いがこのまま攻撃を続ければ、念願の合肥新城攻略が果たせるかもしれないと思った事でしょう。
孫権は、今回こそ本気で、合肥を攻略しようとしていたのですが、突如退却します。
何で孫権軍は突然退却したの?
それは魏の皇帝・曹叡(そうえい)が合肥に大軍を率いてやってくるとの報を受けたためです。
孫権はこの報告を受け、曹叡が来る前にさっさと軍をまとめ呉へ退却したのです。
そのため、襄陽を攻めていた陸遜と諸葛謹の軍勢も退却を開始し、第三陣の軍勢も呉国へ帰国します。
そして今回も本気で攻めた割には、なんの戦果も挙げず、全面敗北という形で合肥の戦いは終結します。
そして孫権が生きている間に、宿願であった合肥の攻略はできずに、彼は亡くなってしまいます。
三国志ライター黒田廉の独り言
合肥の戦いの私見を述べさせてもらうと、一連の戦いを見てもらえればわかると思いますが、孫権さん戦が下手です。
兄貴の孫策(そんさく)も言っておりましたし、断言できます。
孫権が自ら攻め込んでいくのではなく、戦の上手い陸遜(りくそん)や朱然(しゅぜん)などの将に合肥攻略を任せればもしかしたら、合肥攻略ができたのではないのかと思います。
今回はこれでおしまいにゃ。
次回もまた初めての三国志でお会いしましょう。
それじゃーまたにゃ~♪
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この記事を書いた人:黒田廉(くろだれん)
■自己紹介:
三國志が大好きです。オススメのマンガは曹操を描いた蒼天航路がオススメです。三國志の小説のオススメは宮城谷昌光氏が書いた三國志です。
何か一言:好きな食べ物はマグロ、ぶり、アジが大好きな猫です。