上映から3日間で動員人数50万人を突破し、大ヒットになった『新解釈・三國志』
三国志ファンのみならず、多くの人が映画館に足を運んだみたいです。映画は三国志を知らなくても楽しめるのですが、ファンには、説明不用なお約束も三国志ビギナーにとっては、チンプンカンプン…
なんで劉備より関羽が老けているのに劉備が長兄なのか?なんて疑問も出てきているようです。そこで今回は、劉備が義兄弟の一番上である理由を解説します。
この記事の目次
劉備が義兄弟の一番上である理由!
最初に劉備が義兄弟の一番上である理由を述べます。
それは、劉備が関羽や張飛よりも年上だからです。
義兄弟は血縁上の兄弟に似せた関係なので、当然、年長者が一番上という事になります。ただし、劉備や関羽や張飛がいつ生まれたか?について三国志演義では説明はありません。
しかし、説明はないにしても自分が何歳か?は関羽や張飛もわかるはずなので、劉備が年上だと考えて長兄として立てたと考えられます。
なぜ、関羽や張飛の生年は不詳なのか?
劉備は豪族出身なので生年が記録されていますが、関羽や張飛は平民出身の可能性が高く、ことさら記録に残されるような存在ではありません。
後漢の時代にも戸籍はありましたが、1800年の時間が経過して現在まで伝わっていません。また、関羽や張飛は劉備に仕えて名前が現れた人々なので、それ以前の事については記録がなく、分からないのです。そのため、関羽や張飛がいつ生まれたのか、現在の所、誰も分かりません。
史実では3人は義兄弟ではない
『新解釈・三國志』は、三国志演義をベースにしているので、劉備、関羽、張飛は義兄弟として扱われていますが、三国志演義の下敷きになった歴史書、正史三国志では、劉備・関羽・張飛が義兄弟だったとする記録はありません。
なんだか、ちゃぶだいをひっくり返された感じですが、史実の関羽・張飛は劉備のボディーガードであり、ずっと劉備の左右に立ち片時も怠けなかったそうで、とても真面目に劉備に仕えていました。実際には、関羽と張飛は劉備の忠実な部下であった事になります。
劉備は関羽・張飛を兄弟格として扱った
ただ、劉備は関羽や張飛と同じベッドで寝ていたという記述が正史にあります。つまり、人目がある時には部下として扱うもののプライベートでは兄弟同然の付き合いだったのでしょう。
その証拠として、関羽と張飛は、劉備が諸葛孔明を登用して親しくしている時に嫉妬したという記述が正史に出てきます。なので、義兄弟の契りは結んでいないものの、実質兄弟同然だったのでしょう。
また、義兄弟の契りこそ結んでいないものの、趙雲も劉備と親しく一時は同じベッドで寝ていたそうですから、史実の劉備は親しい人とはスキンシップを取りたがる性格だったかも知れません。
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