曹操(そうそう)の息子たちの中では文才に秀でた人が多い中で、曹操の武の才能を唯一受け継いだのが曹彰(そうしょう)です。戦場を疾駆する事に興味を持ち、兄や弟らのように文学には一切興味を持ちませんでした。また黄色い髭を生やしていた事から「黄髭」と曹操から可愛がられた人物です。今回は武に秀でた曹操の次男・曹彰を紹介します。
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血気盛んな青年期を過ごした曹彰
曹彰は曹操の次男として生まれます。幼少期から血気盛んで、弓術や馬術などを好んで学んでいたそうです。曹操は彼に「将来何になりたいんだ」と聞きます。すると曹彰は「将軍になりたい」と言います。
何で曹彰は将軍になりたかったの?
曹操は理由を尋ねると「鎧を着て馬に乗り、武器をもって兵士の先頭に立って自らの武を示して敵を破りたいです。そうすれば恩賞をいっぱいもらえるからです」と答えたそうです。この答えを聞いた曹操は大笑いをしながら彼を激励します。曹彰は青年になると自らの夢をかなえるため、森の中に入って虎やイノシシなど猛獣と格闘し、武を磨いていました。
曹操は武を尊ぶ曹彰に対して「お前は馬に乗って戦うのが好きなようだが、武のみを尊ぶようでは将軍になれんぞ。将軍になるには勉強をして、歴史や文学を学びなさい。」と忠告をします。しかし曹彰は父の言うことに対して「親父。俺は霍去病や衛青(前漢の大将軍)のような将軍になりたいから、武を磨いているんだ。文学を勉強して博士になりたい訳じゃない」と反論します。
曹操は彼の言うことに苦笑いを浮かべその場を立ち去ったと言われています。彼はその後も黙々と修行を重ね、戦場に出陣する機会が巡ってきます。
鳥桓討伐戦で将軍に任命され、戦デビューを果たす
中国北部にいる鳥桓族が反乱。曹操は曹彰を将軍に任命して烏桓討伐を命じ、曹彰は喜んで出陣します。曹彰は北上して中国北部の代県に到着すると鳥桓軍の騎馬隊が突如攻撃を仕掛けてきます。彼は急いで代県に来ていたため、後続の軍勢がまだ来ておらず、周りにいた数千の兵で迎撃を開始。曹彰は鳥桓の攻撃に一時的に危険な状況に陥ります。しかし彼の参謀である田豫の策を用いて何とか鳥桓族の迎撃に成功します。
退却する鳥桓族を追いかけ続ける曹彰
曹彰は退却する鳥桓族を半月以上にわたって猛追撃を行います。半月以上追撃を行った事から兵士は疲れ、馬も疲労がたまり走れなくなっていました。そのため諸将は「後続の兵士や馬の疲労を取るためにも休息が必要です」と曹彰に進言します。彼は諸将の進言を聞いた後「敵は今弱っており、追撃を重ねていけば、大勝利を得られるのだ。こんなところで休むのは優れた将軍のする事ではない」と進言を却下し、再び追撃戦を開始します。曹彰は退却する鳥桓族を徹底的に追撃する事で大勝利を勝ち取り、北方の平定を大成功に導きます。
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