豫譲(よじょう)とはどんな人?士は己を知るものの為に・・執念の暗殺者

2016年1月13日

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kawauso編集長(石原 昌光)

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kawauso編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務めるほか、紙媒体やWebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者・おとぼけ(田畑 雄貴)

コンテンツ制作責任者

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月に「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感していただけることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。

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司馬遷(しばせん)

 

大変に親しい友達の事を知己(ちき)と言いますが、この言葉は司馬遷(しばせん)が書いた史記、刺客列伝に登場する、故事成語で語源はキングダムの時代、春秋戦国時代にまで遡ります。今回のはじさんは、この知己の語源になった、執念の暗殺者、豫譲(よじょう)について紹介しましょう。

 

食客、豫譲、晋の六卿に仕える

 

豫譲については、詳しい来歴は不明ですが、春秋時代の末期の人物で、当時の超大国であった晋(しん)に入り、事実上、晋の政治を行っていた六卿の一人である范(はん)氏に仕えます。しかし、范氏は豫譲を厚く遇しないので、愛想を尽かした彼は、さらに同じく、六卿である中行(ちゅうこう)氏に仕官しました。ところが、ここでも、豫譲は用いられませんでした。

 

晋で智氏が勢力を伸ばし、范氏と中行氏を滅ぼす

 

六卿に支配されていた晋で、今度は六卿同士の勢力争いが発生します。その六卿の一氏である智氏は、当主の智躒(ちしゅう)が有能で、魏氏、趙氏、韓氏を味方につけて、まず本家筋にあたる范氏を攻めて滅亡させます。さらに、次に中行氏も、滅ぼした智氏は、完全に晋の政治を掌握します。

 

晋の出(しゅつ)公、四卿を除こうとして失敗し国外に亡命する

 

この頃、智躒が死に、当主には孫の智瑶(ちよう)が立ちます。そして、滅ぼした范・中行の領地を晋王に断りなく四卿で分割しました。横暴に怒った、晋の出公は魯(ろ)などと連絡を取り、これを討伐しようとしますが、智瑶に計画が漏れて未遂に終わり、殺されるのを恐れて亡命します。こうして、智瑶は、哀(あい)公を立てて傀儡の王にし晋の実権を握ります。

 

豫譲、智伯に仕えて重んじられる

 

智瑶は、伯爵の地位を持ち、智伯(ちはく)と呼ばれました。豫譲は、当時、日の出の勢いの智伯に面会して仕官すると智伯は豫譲の才能を見抜きこれを国士として重く用いるようになります。

 

智伯、趙氏 趙無恤を滅ぼそうとして、逆に滅ぼされる

 

智伯は、晋王を傀儡にする事により、事実上の王と変わらなくなり、残りの三卿に対する振舞いも臣下を扱うような横暴さが目立ちました。特に、趙氏の当主である趙無恤(ちょう・むじゅつ)に対しては、彼が若い頃から何かにつけては恥をかかせています。さらに横暴な智伯は、魏氏、韓氏、趙氏にそれぞれ、土地を分割して差し出すように恫喝し、魏氏と韓氏は応じますが、趙氏は以前の因縁もありこれを拒否します。智伯は、これを好機と見て、兵を挙げ、従順な魏と韓氏を率いて、趙氏の本拠地である晋陽を包囲しました。包囲は一年に及び晋陽は落城寸前になりますが、趙無恤は、家臣を使わして魏と韓に、智伯を撃ち破り、三家で晋を共同で統治しようと持ち掛けます。内心、智伯の横暴に嫌気がさしていた魏と韓は、これに応じて、完全に油断していた智伯を背後から襲い殺す事に成功します。

 

豫譲、趙氏の振舞いに激怒し、仇討ちを誓う

 

豫譲は、智伯が滅びた事により趙氏の残党狩りを恐れて、一時期、山に潜んでいます。その時、風聞で「智伯の頭は皮をはぎ取られ、頭蓋骨は酒の容器として趙氏に使われている」という事が伝わります。ここで、豫譲の義侠心が燃え上がりました。「おのれ、趙無恤、智伯を殺すばかりでは飽き足らず、頭の皮を剥いで、頭蓋骨まで取りだすとは、許せぬ、必ず智伯の仇を討つぞ」豫譲は、かつて自分を知り国士として遇してくれた智伯に報いようと、趙氏を暗殺して仇を討とうと決意します。

豫譲、左官に化けて趙氏を暗殺しようとするが・・

 

智伯を滅ぼした、趙、魏、韓は晋の領地を三分割します。これが戦国七雄の、趙、魏、韓の誕生で紀元前453年の事でした。豫譲は、建国された趙に入りこみ、趙氏の屋敷の左官として暗殺の機会を狙っていましたが、あまりに挙動不審なのを周囲に怪しまれて、趙氏に正体がバレてしまいます。豫譲は、臆する事なく、自分は智伯の元にいた食客であり、主君の仇討ちの為にやってきたと堂々を打ち明けます。趙氏の家臣は、驚き、怒り、口ぐちに豫譲を殺すように言いますが、

 

「今まで、智伯の仇討ちに来たものは誰もいないのに、討たれた主君の為に命を賭けるとは立派である、その勇気に免じて、今回は許してやろう」

 

豫譲、さらに趙氏をつけ狙う・・

 

釈放された豫譲ですが、もちろん、この程度で暗殺を諦める事はありません。今度は、炭を飲んで喉を潰して声を変え、顔や体に生漆を塗り、皮膚をカブレさせ、ぼろぼろの衣服を着て乞食を装います。その変装は完璧であり、道ですれ違った妻子でさえ、彼に気がつきませんでした。趙氏は、貧しい者に金品を恵む仁君だったので、こうして乞食に扮して、再び、近づく機会を狙っていたのです。

 

古い友人に正体を見破られた豫譲の言い分

 

その乞食の扮装に磨きをかける為に、豫譲は、各家を回り、実際に施しを受けるようになりますが、その中に、豫譲の古い友人がいて、仕草から変わり果てた彼の正体を見破りました。豫譲は、友人に智伯の仇を討つ為に乞食に扮して機会を待っていると打ち明けますが、友人は呆れていいました。

 

「君ほどの才能があるなら、改心したと嘘をついて、趙氏に仕えて、隙を狙う方がよっぽどチャンスが多いと思うぞ、どうして、こんなに廻りくどい事をする?」

 

豫譲が友人に語った言葉

 

しかし、豫譲は首を振って拒否しました。

 

「私は、生涯、智伯を唯一の主君として生きる事にした、例え、暗殺の方便でも趙氏に仕えれば、私は二心を抱いた事になる、それでは義が立たぬのだ」

 

何だか、面倒臭い理屈ですが、この不器用さが豫譲の真骨頂でした。

 

士は己を知る者の為に死す・・・

 

豫譲は、ついに、趙氏が馬で橋を渡るという情報をキャッチします。そこで、橋のたもとで待ち伏せて、乞食のフリをして近づき、趙氏を斬ろうと決意しました。ところが、豫譲が発散する凄まじい殺気に趙氏の馬が怯えてしまい橋の前から一歩も進もうとしません。怪しんだ、趙氏が乞食をとらえさせると、それは、いつか、自分の生命を狙った豫譲でした。

 

「何故です?先生は、智伯ばかりではない、范氏、中行氏というような、智伯が滅ぼした者達にも仕えていたではありませんか?どうして、范氏、中行氏の仇は討たないのに、智伯の仇は討とうとしなさる?」

 

趙氏は信じられないという様子で、豫譲に聞きます。

 

「確かに、私は范氏にも、中行氏にも仕えていました。しかし、彼等の私に対する待遇は、他の食客と同じものでした。ですから、私も、並の恩返ししかしなかったのです。だが、智伯は違った、彼は私の価値を知り、私を一人前の人物として、処遇してくれた、、だから、私も最大限の恩を返すのです」

 

それを聞いた、趙氏は、とても悲しい顔をしました。

 

「ああ、、惜しきかな、、先生こそは忠義の人です。しかし、私には、まだ為さねばならぬ事があるいま、先生の願いを聞き入れ、殺されるわけにはいきません。ましてや、その決意を聞いたからには、もう逃がすわけにも参りません」

 

「もとより、死は覚悟の上です、、ただ、その上で頼みがあります。あなたの上着を頂きたい、せめて、あなたの身につけたものに切りつけ、精一杯の事をしましたと、地獄の智伯に詫びてまいりましょう」

 

趙氏は、自分が着ていた、上着を豫譲に与えます。豫譲は躍りあがって、上着に斬り付けて、切り刻むと満足したように微笑みました。

 

「これで、胸を張って智伯の元へゆける・・」

 

豫譲は、胸元に剣を向けたまま倒れ胸を貫いて自殺しました。

 

春秋戦国ライター、kawausoの独り言

kawauso 三国志

 

戦国策には、「士は己を知る者の為めに死し、女は己を説(よろこ)ぶ者の為めに容(かたち)づくる」という言葉があります。己を知るとは、その人の履歴とかプライベートを知るという意味ではありません。その人が何を考え、どう扱われたいのかを知るという事です。人間には、他人に認められたいという承認願望があり、智伯は、豫譲の承認願望を的確に見抜いていた為に、豫譲は遂には命まで捨てて、智伯の仇を討とうとしたのです。また、女性がどうして化粧をしてキレイでいようとするかと言うと、自分の事を愛してくれて、大事にしてくれる男性にいつまでも美しい自分を見てもらおうという気持ちからであると言っています。結婚したら、最後、奥さんを褒めなくなるというのが日本では多いようですが、常に奥さんに感謝して、「キレイだよ」の一言を忘れないという小さな気配りが女性の心を安定させて気持ちに潤いを与えるという事もこの言葉は示しています。本日も春秋戦国時代の話題を肴に乾杯!!

 

 

 

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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。「はじめての三国志」編集長。三国志・中国史を中心に、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を執筆・編集し、当サイトでは4,000本以上の記事を担当。三国志は正史から入ったため、演義を書くときのほうが神経を使うという天邪鬼。故郷・沖縄の歴史に関する勉強会の開催や、ラジオパーソナリティとしての活動も行う。

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