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リアルな正史三国志の特徴って?ってか正史三国志は需要あるの?

2014年11月26日


 

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張飛 本 学問 三国志

 

三国志には、大きく分けて二つの種類があります。

一つは、三国志演義、成立は14世紀の明の時代初期です。

これはテレビや漫画、ゲームでお馴染みのあの三国志

なので新たな説明は省きまーす。

 

問題は、もうひとつの三国志で、これは正史三国志と言います。

成立は、280年で司馬炎が魏を滅ぼして晋を建国した頃です。

 

編纂したのは陳寿という人で蜀の官僚で、後には引き続き

晋の官僚になりました。

 

関連記事:三国志の生みの親であり歴史家の矜持を悩ます歴史書編纂の裏事情 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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正史三国志はつまらない・・・・

許褚 三国正史 食べる

 

さて、正史三国志ですが、これは演義に比較して面白くありません。

何故なら、正史三国志は歴史ドラマではないからです。

 

具体的にどんな内容かと言うと、以下のような感じです。

 

36巻 「関張馬黄趙傳」 関羽張飛馬超黄忠趙雲

と蜀の武将の名前があり、それぞれの経歴が簡潔に描かれているのです。

 

それぞれの武将の伝は独立していて、他の武将との関わりは

簡潔にしか書いてありません。

 

つまり、三国志に登場する武将個々人に詳しくないと、

読み進める間に、???と疑問符で一杯になるでしょう。

 

正史三国志を極端に例えると??

孔明

 

もの凄く平たく言うと、あなたが面接官で、

三国志の武将の履歴書を、淡々と読んでいるようなものです。

「ね?考えるからにツマラナイでしょう」

 

そりゃあメジャーな武将の履歴なら興味を持つかも知れないけれど、

そうでない武将の履歴も独立して淡々と綴られているのです。

これはキツイと言えるのではないでしょうか?

 

正史三国志は需要あるの?

魏武将 はじめての三国志 ゆるい

 

ただ、正史三国志は、国が編纂した歴史書だけあって、

伝聞や怪しい情報は排除して、信憑性が高い情報だけを集めた

という事もあり、虚構を廃した三国志を知りたいという人に人気があります。

 

無敵の将軍の呂布は正史では?

呂布 三国志

 

例えば、三国志演義では、無敵の将軍である呂布は、正史では、

藏覇(ぞうは)という陶謙配下の武将の城を攻めて敗れています。

 

この藏覇、ゲームでは、武力70とか、その辺りの中クラスの武将

そう聞くと「あれ?」と思いますが、呂布は、三国志演義の

事実上の主人公、劉備や張飛、関羽を引き立てる為に無敵の将軍に

仕立てあげられた可能性もあります。

 

このような「正史」と「演義」の愉快なズレを体験したければ、

正史の人物伝を読んでみるのも面白いでしょう。

演義では影が薄いか全く無名の人物が大活躍していたりして意外ですよ。

 

また三国志の名前の由来も、この陳寿の正史三国志に関係があります。

陳寿は魏王朝を正統としながらも、残りの二つの王朝、

呉と蜀を無視せず、独立して記述していて、「魏志」、「蜀志」、「呉志」

という形態にして65巻にまとめました。

 

三国志の名称の産みの親は陳寿

蜀の産まれ

 

この志が3つあるから三国志で、まさに三国志の名称の産みの親は

陳寿その人であると言えると思います。

 

簡潔な記述だった、陳寿の三国志は、中国の南北朝時代の

裴松之(はいしょうし)という人物によって注釈がつけられます。

これにより、陳寿の三国志に欠けていたドラマ性や異説などが

補強されて行き、三国志演義の土台となっていくのです。

 

関連記事:「危うく抹殺されそうになりました、陳寿さんのおかげです」卑弥呼より

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