虎牢関で、呂布が劉備、関羽、張飛の攻撃で撤退した事により、菫卓は、守るには不利な洛陽に火を放ち、焦土作戦を敢行します。
これにより、光武帝以来、200年栄えた洛陽は廃墟と化しました。勝った筈の反菫卓連合軍は、何の戦利品も得る事が出来ず、不満タラタラのまま、廃墟と化した洛陽の復興に当たる事になります。
洛陽に一番乗りした孫堅だったが・・・
洛陽に一番乗りを果たしたのは、孫堅でした。彼は、菫卓によって、盗掘された歴代皇帝の墓と、焼けた宮殿の復旧に当たっています。そんなある日、宮殿の廃墟の古い井戸を除くと、そこには水が無く貴婦人が、身を投げて死んでいました。弔ってやろうと井戸から引き上げると、夫人は胸に包みを抱えています。
何かと思って、包みを開くと、そこには玉璽が包まれていたのです。玉璽とは、皇帝が保有する印鑑であり、権力の象徴そのものです。
それが他の誰でもない孫堅によって発見されたのです。
「これは俺に皇帝になれという天のお告げに違いない、、」
孫堅の胸に黒い野心が生まれます、彼は「玉璽発見」を報告せず、自分の懐にしまって知らんふりをしていました。
玉璽を巡る衝突
しかし、その様子は、ある人に見られていて、彼は、この事を反菫卓連合軍の盟主である袁紹に報告します。
「何?孫堅めが、玉璽を発見しながら黙っているだと、、」
袁紹は玉璽と聞いて、自分も欲しくなります、何とか、孫堅から巻き上げ、皇帝に返却するとか何とか都合をつけて自分のモノにしようと悪だくみしたのです。
袁紹は諸候を呼びだし、孫堅を公開法廷で問い詰めます。
「貴殿が、玉璽を発見していながら、懐にしまい知らんふりをしている
という密告があったが本当なら玉璽を返却して頂きたい」
孫堅は、「何の事だか分からない、、」ととぼけて切り抜けようとします。
なおもしつこく追及する袁紹に孫堅は、「私が嘘をついているのなら、天罰により戦死しても構わぬ、天に誓おう」と大見得を切って、諸候を納得させます。しかし、袁紹が孫堅が玉璽を懐に入れたのを見たという証人を連れてくると、逆上した孫堅は、これに斬りかかろうとしてしまうのです。
(あーあ、こいつ、黒だわ、、、、)
諸候が冷たい視線を投げつける中で、ばつが悪くなった孫堅は、パクった玉璽を懐に早々に軍を纏めて、洛陽を出て行ってしまいます。治まらないのは袁紹です、どうしても玉璽を手に入れようと、荊州の劉表に指示を出し、孫堅を襲わせるのです。
劉表軍により孫堅死す
孫堅は、何とか、劉表の追撃をかわしますが、これを恨んだ孫堅は、袁紹と不仲になっていた袁術の依頼で、劉表を攻撃、その戦争の最中に伏兵が放った矢でハリネズミになり戦死します。
その後、玉璽は息子の孫策の手に渡りますが、孫策は、袁術から兵を借り受ける為に玉璽を袁術に譲り、独立します。
そして、玉璽を得た袁術は、皇帝を自称して仲王朝を起こし、没落の道を転げおちていくのです。二人の英雄の運命を狂わせた玉璽、恐るべし、、
実際に正史では孫堅は玉璽を拾ったの?
ですが、この玉璽の話は、三国志演義だけにあり、正史では、孫堅は玉璽を拾っておらず、当然、袁術も皇帝に即位はしましたが、玉璽を拾ったからという理由づけはしていません。
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