許邵(きょしょう)という月旦(げったん・人物鑑定家のこと)から
「治世の能臣、乱世の奸雄」と称された、
『三国志演義』の悪の英雄です。
そのため、どうしても嫌われ者のイメージがぬぐえないようです。
もしかすると、男性にはそこまで嫌われていないのかもしれません。
本当に偉大な人物ですから。
歴史ライター東方明珠は曹操好き
しかし、女性からすると、堂々と好きだと答える人は、
かなり少数派かと思われます。
私の個人的な話になってしまいますが、
私は曹操、劉備、孫権の中で一番好きな君主は曹操です。
そこで、以前友人に
「子供が生まれたら『曹(つかさ)』か『操(みさお)』ってつけたい」
と言ったところ、
「曹操はエロおやじじゃん!」
と一喝されてしまいました……。
ちょうど映画『レッドクリフ』が放映されていたときだったので、
周瑜の妻、小喬を虎視眈々と狙う曹操像が印象的だったようです。
実際、曹操がエロおやじであることは否めません(←コラ)
しかし、そんな曹操にも、若かりし頃がありました。
ダークでヒールなイメージが強い曹操も、実はものすごく
熱い男だったのです。
宦官の系譜でありながら、清廉
155年(桓帝の時代)、現在の安徽省北辺の譙(しょう)で生まれました。
首都洛陽のある河南省との境の町です。
父親の曹嵩(そうすう)は、もともと夏候姓でしたが、
宦官曹騰(そうとう)の養子になりました。
つまり曹操は、血のつながりはありませんが、
宦官の孫ということになります。
祖父曹騰は、30年間も漢室に仕えた宦官で、4代の皇帝に仕えました。
温厚で実直な性格をしていたため、皇帝から信任が厚く、
どんどん地位が高くなっていき、権力を増やしていきました。
父曹嵩は、霊帝の代に地位を金で買い、様々な要職を歴任します。
曹操12歳の時に、党錮の禁が起こりました。
これは、私腹を肥やす宦官を「濁流派」として非難する人々が、
宦官らによって投獄された事件です。
曹操は宦官の孫ですので、批判された宦官側の人間でした。
しかし、曹操自身は、成長して官についたとき、宦官と対立する側についたのです。
二十歳の曹操、警察長官に就く
曹操は20歳のときに洛陽北部の尉(い)という警察長官のような位を務めました。
その時、罪を犯すものがいると、その身分にかかわらず、平等に罰を与えました。
どんなに位が高くても、悪いことをしたら即処刑。
各方面から恨みは買いましたが、その清廉潔白な性格は、高く評価されました。
また、中央に呼び戻されて、霊帝に謁見できる機会を得た曹操は、
邪悪な人間が朝廷にはびこり、善良なものが出世できないと霊帝に直訴します。
不正を見てみぬふりが出来ない若き曹操
不正を見てみぬふりなど決してできないという、若き曹操の熱い正義感がよく伝わってくるエピソードです。
しかし、こうなると宦官との対立は避けられません。
曹操は自分一人だけなら矢面に立つこともいいが、一族までにも災いが降りかかることを怖れ、31歳のとき、
病気と偽り、郷里に引きこもります。
郷里では春と夏には読書、秋と冬には狩りという悠々自適な暮らしをしていました。
この記事を書いた人:東方明珠
こんにちは。とうほう めいしゅです。
中国は上海の雰囲気が好きなので、テレビ塔の「トンファンミンジュ」を名乗っています。
もともと『水滸伝』の大ファンで、『三国志』に興味を持ったのは、アーケードゲーム「三国志大戦」がきっかけです。
当時はゲームセンターに通いつめました!
まだまだ中国史について勉強中ですが、精いっぱい面白いことを探してお伝えしたいと思っています。
どうぞよろしくお願いいたします。