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若かりし曹操は熱血漢

2015年1月25日


 

現実主義曹操

 

三国志演義』では、常に主人公劉備の敵として存在する曹操

 

許邵(きょしょう)という月旦(げったん・人物鑑定家のこと)から

「治世の能臣、乱世の奸雄」と称された、

『三国志演義』の悪の英雄です。

 

そのため、どうしても嫌われ者のイメージがぬぐえないようです。

もしかすると、男性にはそこまで嫌われていないのかもしれません。

本当に偉大な人物ですから。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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歴史ライター東方明珠は曹操好き

人材マニア 曹操

 

しかし、女性からすると、堂々と好きだと答える人は、

かなり少数派かと思われます。

私の個人的な話になってしまいますが、

私は曹操、劉備、孫権の中で一番好きな君主は曹操です。

 

そこで、以前友人に

「子供が生まれたら『曹(つかさ)』か『操(みさお)』ってつけたい」

 

と言ったところ、

「曹操はエロおやじじゃん!」

と一喝されてしまいました……。

 

ちょうど映画『レッドクリフ』が放映されていたときだったので、

周瑜の妻、小喬を虎視眈々と狙う曹操像が印象的だったようです。

 

実際、曹操がエロおやじであることは否めません(←コラ)

 

しかし、そんな曹操にも、若かりし頃がありました。

ダークでヒールなイメージが強い曹操も、実はものすごく

熱い男だったのです。

 

宦官の系譜でありながら、清廉

曹嵩

 

155年(桓帝の時代)、現在の安徽省北辺の譙(しょう)で生まれました。

首都洛陽のある河南省との境の町です。

 

 

父親の曹嵩(そうすう)は、もともと夏候姓でしたが、

宦官曹騰(そうとう)の養子になりました。

 

つまり曹操は、血のつながりはありませんが、

宦官の孫ということになります。

 

 

祖父曹騰は、30年間も漢室に仕えた宦官で、4代の皇帝に仕えました。

温厚で実直な性格をしていたため、皇帝から信任が厚く、

どんどん地位が高くなっていき、権力を増やしていきました。

 

父曹嵩は、霊帝の代に地位を金で買い、様々な要職を歴任します。

 

曹操12歳の時に、党錮の禁が起こりました。

 

これは、私腹を肥やす宦官を「濁流派」として非難する人々が、

宦官らによって投獄された事件です。

 

曹操は宦官の孫ですので、批判された宦官側の人間でした。

しかし、曹操自身は、成長して官についたとき、宦官と対立する側についたのです。

 

 

二十歳の曹操、警察長官に就く

熱血曹操

 

曹操は20歳のときに洛陽北部の尉(い)という警察長官のような位を務めました。

その時、罪を犯すものがいると、その身分にかかわらず、平等に罰を与えました。

どんなに位が高くても、悪いことをしたら即処刑。

 

各方面から恨みは買いましたが、その清廉潔白な性格は、高く評価されました。

 

また、中央に呼び戻されて、霊帝に謁見できる機会を得た曹操は、

邪悪な人間が朝廷にはびこり、善良なものが出世できないと霊帝に直訴します。

 

不正を見てみぬふりが出来ない若き曹操

朝まで三国志 曹操

 

不正を見てみぬふりなど決してできないという、若き曹操の熱い正義感がよく伝わってくるエピソードです。

 

しかし、こうなると宦官との対立は避けられません。

 

曹操は自分一人だけなら矢面に立つこともいいが、一族までにも災いが降りかかることを怖れ、31歳のとき、

病気と偽り、郷里に引きこもります。

 

 

郷里では春と夏には読書、秋と冬には狩りという悠々自適な暮らしをしていました。

 

この記事を書いた人:東方明珠

キリン(東方明珠氏)はじめての三国志

こんにちは。とうほう めいしゅです。

中国は上海の雰囲気が好きなので、テレビ塔の「トンファンミンジュ」を名乗っています。

もともと『水滸伝』の大ファンで、『三国志』に興味を持ったのは、アーケードゲーム「三国志大戦」がきっかけです。

当時はゲームセンターに通いつめました!

まだまだ中国史について勉強中ですが、精いっぱい面白いことを探してお伝えしたいと思っています。

どうぞよろしくお願いいたします。

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東方明珠

東方明珠

中国は上海の雰囲気が好きなので、テレビ塔の「トンファンミンジュ」を名乗っています。もともと『水滸伝』の大ファンで、『三国志』に興味を持ったのは、アーケードゲーム「三国志大戦」がきっかけです。当時はゲームセンターに通いつめました!まだまだ中国史について勉強中ですが、精いっぱい面白いことを探してお伝えしたいと思っています。

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