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曹操が行った大改革って何?|パイを奪うより自分で焼け!

2015年1月30日


 

 

コロンブスの卵という慣用句をご存じでしょうか?

別に、コロンブスが養鶏場を経営していたわけではありません。

 

或る時、コロンブスが王の晩さん会に招かれた時に、

「英雄的な大発見をする秘訣は何でしょうか?」

と、ある参加者に聞かれました。

 

するとコロンブスは、卵を取り出して、

「どなたか、この卵をテーブルに立ててみて下さい」

とクエスチョンを投げてきたのです。

 

しかし、平らなテーブルに底面が丸い卵が立つ理由がありません。

参加者が匙を投げてしまうとコロンブスは、

 

「皆さん、こうすればいいのですよ、、」

と言い、卵の底を少し叩いて凹ましテーブルに立てたのです。

ほんの少し、現実を違う視点で見る事が測り知れない

大発見を産むというのがコロンブスの言う偉業を成すコツでした。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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魏の曹操も違う視点で見ていた漢

曹操018

 

三国志の英雄、魏の曹操は、まさしくコロンブスの卵を

何度も実践した破格の英雄でした。

 

曹操の覇業は、他の郡雄が目もくれない、或いは気が付きもしない

そんな盲点をしっかりと掴む事で達成されたのです。

 

三国時代の中国では、華中の地域は山賊や戦乱の被害で荒れ果てていました。

袁紹のような曹操のライバルは貧しい華中からは、税を取れないので

華北のような戦乱の被害が無い土地を支配していました。

 

しかし、曹操は好んで、誰も手を付けない華中に入り込んでいき、

そこに、流民や兵士を入植させて農業に従事させたのです。

これを屯田兵と言い、後の中国では曹操の制度を踏襲しました。

 

屯田兵を導入した理由

兵戸制

 

屯田兵の優れている部分は、大勢の兵力を養う為に、

庶民から税金を取る必要が無いという事です。

 

袁術などは、裕福な土地を支配していましたが、屯田の制度を

採用しなかったので、10万人という大軍を維持する間に

多額の税金を取り土地は疲弊してしまったのです。

 

また、山賊のような存在は、各地を流浪しながら

配下に飯を食べさせる為に富豪を襲い、その金銀を略奪していました。

これだと安定した商売が出来ないので、富豪は土地を逃げ出し

元々は豊かな土地も貧しくなるのです。

 

しかし曹操は、屯田により税金を軽減し富豪から富を強奪しなかったので

富豪達は安心して住みつく事が出来ました。

それが、商業を発展させ、曹操の領地を豊かにしたのです。

 

関連記事:曹操「なんでも上手に使えばいい!屯田制と兵戸制じゃ!」

 

曹操の独自の考え

曹操アップルパイを焼く

 

決められたパイを複数で奪い合い、疲弊するよりは、

自分でパイを焼いて、たらふく食べようというのが曹操の考えでした。

 

他の群雄が、僅かに残る豊かな土地を奪い合い疲弊していく中で、

曹操の支配地域だけは、年々生産力が上昇し気がつくと

誰も太刀打ちできない強大な勢力に成長していたのです。

 

これ以外にも曹操は、張角の死後、取り残された

黄巾賊の残党を自軍に引き込む事にも成功しています。

 

青州黄巾軍を編成

曹操 黄巾党が仲間に!

 

張角は、青州を本拠地にしていたので、そこには、

多くの太平道の信徒が残り、張角の教えを守って

自主武装して自警団を造って暮らしていました。

 

本来ならば、青州を支配しに来た諸候は、

彼等を無視するか殺戮して憂いを取り除きそうなものですが、

曹操は、逆に30万人と言われる太平道の信徒に接近します。

そして、、、、、

①太平道の教義をこれまで通り信仰してもいい、

②青州兵だけの軍隊を造り、他所者は入れない、

③曹操が死んだらいつでも青州に帰っても構わない、

 

という当時としては破格の条件をつけて黄巾賊の残党を

自軍に吸収する事に成功してしまったのです。

 

当時は邪教とされ、後漢王朝から大々的に弾圧された

新興宗教の教団をそのまま自軍に引き込むなど

常識からは想像できません。

 

ましてや曹操は、漢の討伐軍の将軍として、

かつては黄巾賊と戦った人物なのです。

その度量の大きさには呆れると同時に畏敬の念を覚えます。

 

こうして、盲点やタブーをドンドン突いていく事で、

曹操は、自軍を弱小勢力から天下に号令を掛ける

一大勢力へと成長させていったのです。

 

関連記事:太平道の教祖、張角死後の黄巾軍はどうなったの?青州黄巾軍って何?

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この記事を書いた人:kawauso

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自己紹介:

三度の飯の次位に歴史が大好き

10歳の頃に横山光輝「三国志」を読んで衝撃を受け
まずは中国歴史オタクになる。
以来、日本史、世界史、中東、欧州など
世界中の歴史に興味を持ち、
時代の幅も紀元前から20世紀までと広い。
最近は故郷沖縄の歴史に中毒中、、

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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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