コロンブスの卵という慣用句をご存じでしょうか?
別に、コロンブスが養鶏場を経営していたわけではありません。
或る時、コロンブスが王の晩さん会に招かれた時に、
「英雄的な大発見をする秘訣は何でしょうか?」
と、ある参加者に聞かれました。
するとコロンブスは、卵を取り出して、
「どなたか、この卵をテーブルに立ててみて下さい」
とクエスチョンを投げてきたのです。
しかし、平らなテーブルに底面が丸い卵が立つ理由がありません。
参加者が匙を投げてしまうとコロンブスは、
「皆さん、こうすればいいのですよ、、」
と言い、卵の底を少し叩いて凹ましテーブルに立てたのです。
ほんの少し、現実を違う視点で見る事が測り知れない
大発見を産むというのがコロンブスの言う偉業を成すコツでした。
魏の曹操も違う視点で見ていた漢
三国志の英雄、魏の曹操は、まさしくコロンブスの卵を
何度も実践した破格の英雄でした。
曹操の覇業は、他の郡雄が目もくれない、或いは気が付きもしない
そんな盲点をしっかりと掴む事で達成されたのです。
三国時代の中国では、華中の地域は山賊や戦乱の被害で荒れ果てていました。
袁紹のような曹操のライバルは貧しい華中からは、税を取れないので
華北のような戦乱の被害が無い土地を支配していました。
しかし、曹操は好んで、誰も手を付けない華中に入り込んでいき、
そこに、流民や兵士を入植させて農業に従事させたのです。
これを屯田兵と言い、後の中国では曹操の制度を踏襲しました。
屯田兵を導入した理由
屯田兵の優れている部分は、大勢の兵力を養う為に、
庶民から税金を取る必要が無いという事です。
袁術などは、裕福な土地を支配していましたが、屯田の制度を
採用しなかったので、10万人という大軍を維持する間に
多額の税金を取り土地は疲弊してしまったのです。
また、山賊のような存在は、各地を流浪しながら
配下に飯を食べさせる為に富豪を襲い、その金銀を略奪していました。
これだと安定した商売が出来ないので、富豪は土地を逃げ出し
元々は豊かな土地も貧しくなるのです。
しかし曹操は、屯田により税金を軽減し富豪から富を強奪しなかったので
富豪達は安心して住みつく事が出来ました。
それが、商業を発展させ、曹操の領地を豊かにしたのです。
関連記事:曹操「なんでも上手に使えばいい!屯田制と兵戸制じゃ!」
曹操の独自の考え
決められたパイを複数で奪い合い、疲弊するよりは、
自分でパイを焼いて、たらふく食べようというのが曹操の考えでした。
他の群雄が、僅かに残る豊かな土地を奪い合い疲弊していく中で、
曹操の支配地域だけは、年々生産力が上昇し気がつくと
誰も太刀打ちできない強大な勢力に成長していたのです。
これ以外にも曹操は、張角の死後、取り残された
黄巾賊の残党を自軍に引き込む事にも成功しています。
青州黄巾軍を編成
張角は、青州を本拠地にしていたので、そこには、
多くの太平道の信徒が残り、張角の教えを守って
自主武装して自警団を造って暮らしていました。
本来ならば、青州を支配しに来た諸候は、
彼等を無視するか殺戮して憂いを取り除きそうなものですが、
曹操は、逆に30万人と言われる太平道の信徒に接近します。
そして、、、、、
①太平道の教義をこれまで通り信仰してもいい、
②青州兵だけの軍隊を造り、他所者は入れない、
③曹操が死んだらいつでも青州に帰っても構わない、
という当時としては破格の条件をつけて黄巾賊の残党を
自軍に吸収する事に成功してしまったのです。
当時は邪教とされ、後漢王朝から大々的に弾圧された
新興宗教の教団をそのまま自軍に引き込むなど
常識からは想像できません。
ましてや曹操は、漢の討伐軍の将軍として、
かつては黄巾賊と戦った人物なのです。
その度量の大きさには呆れると同時に畏敬の念を覚えます。
こうして、盲点やタブーをドンドン突いていく事で、
曹操は、自軍を弱小勢力から天下に号令を掛ける
一大勢力へと成長させていったのです。
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この記事を書いた人:kawauso
自己紹介:
三度の飯の次位に歴史が大好き
10歳の頃に横山光輝「三国志」を読んで衝撃を受け
まずは中国歴史オタクになる。
以来、日本史、世界史、中東、欧州など
世界中の歴史に興味を持ち、
時代の幅も紀元前から20世紀までと広い。
最近は故郷沖縄の歴史に中毒中、、