黄巾の乱から晋の中国統一までの100年間をおおざっぱに紹介します。
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180年代
・太平道(たいへいどう)の教祖、張角が黄巾賊(こうきんぞく)を率いて乱を起こす。
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・劉備(りゅうび)・関羽(かんう)・張飛(ちょうひ)の三人、義兄弟となり黄巾賊
・討伐の軍に参加する。黄巾賊の乱は鎮圧されるが、その後も反乱が相次ぐ。
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・霊帝(れいてい)が崩御して少帝(しょうてい)が帝位につく。
・宮中の混乱に乗じ、董卓が朝廷の実験を握る。董卓は少帝を排し、献帝(けんてい)が新たに帝位につく。
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190年代
・袁紹(えんしょう)・曹操・孫堅(そんけん)らの諸将が反董卓連合を結成。
しかし、連合軍は内輪もめの末、董卓を討ち果たすことなく解散する。
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・王允(おういん)、董卓配下の呂布(りょふ)らを抱き込み、董卓を暗殺。
しかしその後の権力闘争に負けて王允は殺害、呂布は逃亡する。
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・曹操が黄巾賊残党30万人を抱き込み青州兵と命名、足場を固めて
北方に勢力を持つ袁紹や公孫瓚と対立する。
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・放浪していた劉備たちを徐州(じょしゅう)の陶謙(とうけん)が迎え入れる。
しかし陶謙の配下の兵士が曹操の父親を殺害。復讐のために曹操が挙兵。
曹操の留守を突いた呂布も加えて混乱が拡大する。
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・曹操が呂布を討伐。劉備は一旦曹操に下るが、その後曹操を裏切る。
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曹操に敗れた劉備は袁紹を頼って逃亡、関羽は曹操に下る。
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200年代
・曹操と袁紹が対立し、激しい戦いが起こる。
・劉備は袁紹配下として曹操と戦うが敗北、逃走する。曹操配下として戦功を上げた関羽も曹操の下を辞して劉備の後を追う。
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・数度の戦いの後、曹操軍は官渡(かんと)の戦いで袁紹軍に大勝、
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・袁紹は退却を余儀なくされ、後に病死。袁紹なき後、袁家は内輪もめ状態に。
・曹操、袁家の混乱に乗じてこれを討伐する。
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・南にある荊州(けいしゅう)を治める劉表(りゅうひょう)の元に
身を寄せていた劉備、諸葛孔明(しょかつこうめい)の噂を知り、
三度その庵を訪れ、軍師として招き入れる。
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・袁家を滅ぼし、北方を平定した曹操が荊州に攻めてくる。
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・荊州を追われた劉備は、東の揚州を支配する孫権(そんけん)の元に孔明を派遣し、同盟を組むことに成功する。
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・劉備・孫権連合軍、赤壁(せきへき)の戦いで曹操の大軍を破る。
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・荊州を掌握した劉備は、孔明の『天下三分の計』に従い、西の益州攻略に臨む。
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210年代
・曹操軍と孫権軍の一進一退の戦いが続くが、結局和睦する。
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・西方の涼州(りょうしゅう)でも反乱が起こるが、曹操軍はこれを鎮圧する。
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・益州を支配していた劉璋(りゅうしょう)、北方で勢力を伸ばしていた
張魯(ちょうろ)を恐れ、劉備に援軍を要請する。この機に乗じた劉備は
自ら兵を率いて益州へ侵攻、最終的に益州を掌握することに成功する。
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・劉備は益州北方にある漢中(かんちゅう)の地を巡って曹操と対立、
曹操軍を破り漢中を掌握する。
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220年代
・荊州を守っていた関羽、曹操配下の曹仁(そうじん)と、孫権配下の
呂蒙(りょもう)の連合軍に破れ、囚われた末に処刑される。
劉備は荊州を失う。
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・曹操が病死、曹丕(そうひ)がその跡をつぐ。献帝から禅譲(ぜんじょう)を
受けて皇帝に即位、後漢王朝が滅んで魏(ぎ)が成立する。
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・劉備、孔明に薦められて皇帝に即位、蜀(しょく)が成立する。
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劉備は関羽の仇を討つため自ら軍を率いて進軍、しかしその最中、
張飛が部下に暗殺され、自らも孫権軍に破れて敗走、病死する。
劉備の息子である劉禅(りゅうぜん)が跡を継いで帝位に就く。
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・孫権との同盟を回復した孔明、南方の蛮族を平定した後に、劉禅に
『出師の表』(すいしのひょう)を奉り、魏討伐の軍を起こす。
魏軍は司馬懿(しばい)を指揮官として、蜀軍を迎え撃つ。
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・孫権、帝位に就く。呉(ご)が成立し、三国鼎立状態となる。
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230年代
・5度に及ぶ魏討伐に勝利することなく、孔明は五丈原(ごじょうげん)の陣中で病死する。
240年代
・孔明の跡を継いだ姜維(きょうい)が魏討伐の軍を起こす。
呉と共同作戦を展開するが、司馬懿に抑えられる。
姜維は8年間にわたって魏との戦いを続けるが、結果的に蜀の国力を
疲弊させるだけに終わる。
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・呉で後継者の座を争い、揉め事が起こる。
孫権は争いを避けるために後継者を指名するが、派閥争いが続く。
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・魏でクーデター発生。司馬懿が実権を握る。
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250年代
・司馬懿が病死。長男がその跡を継いで大将軍となる。
・孫権が崩御。魏が呉への討伐軍を起こすが、呉軍の奇襲で大敗を喫する。
・姜維、再び魏討伐の軍を起こす。
一度は大勝するも、魏の持久戦の前に結局撤退を余儀なくされる。
260年代
・魏の鐘会(しょうかい)、蜀討伐を命じられる。
姜維が応戦するも劉禅は魏に降伏することを決める。蜀が滅亡する。
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・魏の皇帝曹奐(そうかん)、司馬炎に皇位を禅譲、魏が滅亡し新たに晋(しん)が成立。
・呉の皇帝、孫晧(そんこう)は財政を無視した暴政を行い、呉の財政を破たん寸前まで追い込む。
270年代
・孫晧の暴政は続き、呉は弱体化していく。
280年
・晋はようやく呉討伐の軍を起こす。
首都を包囲された孫晧は晋軍に降伏、呉が滅亡して三国時代の幕が降りる。