三国志演義、最大の悪役として名高い曹操は、西暦155年に産まれました。
父である曹嵩は大金持ちで、甘やかされて育った曹操は、
少年期には手のつけられない不良として
幼馴染の袁紹達とつるんで悪さをしていたそうです。
さて、通常なら知名度も実力も抜群の曹操がどうして、
三国志演義では、劉備のような中途半端な能力の人物よりも
人気がなく悪役扱いなのでしょう。
曹操に人気がない理由①
その最たる特徴が、曹操の合理主義、そして目的の為なら身内でも
容赦なく斬り捨てる非情な性格にあります。
曹操の言葉として、有名な台詞があります。
「私が他人を裏切っても、他人が私を裏切るのは絶対に許さない」
どうでしょうか?背筋がゾッとしませんか?
この言葉の通り、曹操は例え、その人物が有能であっても、
お払い箱を思えば容赦なく処刑しました。
それも涙を流しながら、今にも処刑を中止するのではないか?
と周囲に思わせておいて、そんな事は絶対にしなかったそうです。
劉備が足でまといとは知りながら、劉備を慕って付いてくる農民を
斬り捨てられず曹操軍に追いつかれたのとは対照的です。
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曹操に人気がない理由②
そして、もう一つ、人気がなくなりそうな曹操の性格があります。
それが、極端な女好きという一面。
曹操には13名の妻がいて、子供も32名も造りましたが、
それでも足りず未亡人の雛氏と危険な情事に落ち込んだりしています。
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女性を政治には関与させない
ただ、日本の豊臣秀吉のように妻、淀殿への愛に溺れる事はなく、
色事と政治はきっちり分けていて妻達が政治に口を挟む事は
許しませんでした、この辺りは立派です。
また、曹操は、キレイ事に流されない合理的な人物でもありました。
それが能力があれば、出自や経歴はどうあれ、人物を採用するという
度量の広さに繋がっていました。
曹操はいつだって合理主義
昔、劉表が力は無いが、餌だけは人一倍食べる巨大な牛を飼っていたそうです。
後に曹操が荊州を手にいれると、その牛も捕獲しました。
しかし、曹操は冷たく、、
「牛というのは荷車を引くか、田畑を耕すから価値があるのだ、
飯ばかり食べるデカイだけの牛など要るか、、」
と言うと、牛を屠殺して宴会のメインディッシュにしてしまいました。
どうでしょう?外見だけに囚われず実利を重視する曹操の合理的な
一面が垣間見えるエピソードではありませんか?
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曹操に人気のない理由:まとめ
さて、若い頃、曹操は、汝南で、許劭(きょしょう)という人相見に、
「乱世の奸雄、治世の能臣」と評価されています。
太平の世では仕事が出来る能吏であり、乱世では常人の及ばない
悪だくみを駆使して世の中に憚る大人物という意味です。
曹操は、予測不可能な乱世を束ねられる希な人材として、許劭に
評価されていたのでした。
しかし、後世の人は乱世を勝ち抜く為の曹操の非情や合理主義を
理解できず、情に厚く失敗ばかりの劉備を愛しました。
実際に曹操の評価が+になってきたのは20世紀に入り、
西欧の合理主義が中国に入ってきてからです。
曹操の偉大さは1700年を経過してようやく人々に理解された
そのようにも言えるでしょうね。
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自己紹介:
三度の飯の次位に歴史が大好き
10歳の頃に横山光輝「三国志」を読んで衝撃を受け
まずは中国歴史オタクになる。
以来、日本史、世界史、中東、欧州など
世界中の歴史に興味を持ち、
時代の幅も紀元前から20世紀までと広い。
最近は故郷沖縄の歴史に中毒中、、
好きな歴史人物:
西郷隆盛、勝海舟、劉邦、韓信、、etc
何か一言:
歴史は現在進行形、常に最新のジャンルです。