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沢山の人材を発掘した呉の孫権

2015年2月1日


 

三人(魏 呉 蜀)

 

孫堅、孫策と続いた呉の三代目、孫権は、劉備や曹操のような、

叩き上げの歴戦の英雄から見ると地味な印象を受けます。

 

しかし、それは、ある程度安定した地盤を引き継いで、多くの戦乱に

明け暮れる必要が無かったという点。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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呉が発展できた理由

 

呉は中国国内でも有数な水に恵まれた穀倉地帯であり、

資源を求めて他所へ撃って出る必要がなく、それが守備に重点を置いた

呉の戦略に繋がったという点が原因です。

 

呉が地味な理由

三国志まとめ 董卓

 

曹操や劉備のようにガツガツしないでも済んだので、

どうしても活動が地味に見えるのでしょう。

 

そんな孫権ですが、曹操や劉備に劣らない、むしろ凌いでいる部分があります。

 

曹操や劉備に劣らないのは何故?

孫呉(孫権黄蓋陸孫周瑜周泰) 

 

それは多くの人材を発掘して呉の発展に寄与した事です。

 

孫権の人材に対する考え方を現す言葉には、以下のようなものがあります。

 

「他人の長所を褒めて最大限伸ばし、欠点には目をつぶる」

 

孫権は、このような考えに基づいて、多くの部下を登用して、

これを活動させました。

 

名将に変貌させた孫権の人心掌握術

呂蒙

 

特に有名なのは、呂蒙(りょもう)という武将でしょう。

呂蒙は、元々は武力一辺倒の戦馬鹿であり、

赤壁でも大手柄を立てるなど優れた知恵はあったのですが、

貧しい境遇の為に学問が出来ず文字も読めない文盲だったので、

周囲からは「呉下の阿蒙」と馬鹿にされていました。

 

阿蒙の阿とは、○○ちゃんという意味で、ようするに

「蒙ちゃん」と軽く馬鹿にして呼ばれていた訳です。

 

孫権は、呂蒙を呼び寄せて、学問の必要性を強く説きました。

 

「何も学者になるほどに勉強をせよとは言わぬ、ただ、過去の事を

もう少し勉強して欲しいのだ」

 

孫権自身も忙しい政務の合間を見て、孫子の兵法を研究するなど、

大変な読書家でした。

 

その孫権から勉強しなさいと言われた呂蒙は一念発起して

寝る間を惜しんで勉強をし、ついには学者を凌ぐ知識を身につけています。

 

その事が、後に関羽を討ち取り荊州を奪還するなどの大功績に繋がるのです。

 

関連記事:「男子三日会わざれば刮目して見よ」……呂蒙について

 

孫権は優秀な人材を呉に招く

遅れて来た孫権 英雄

 

この呂蒙以外にも、孫権は、諸葛孔明の兄の諸葛僅(きん)や、

魯粛(ろしゅく)のような優れた政治家を呉に招いています。

 

魯粛は三国志演義では、周瑜と孔明の間で右往左往するくたびれた

中間管理職のような情ない役ですが、事実はそうではなく

長期的な戦略眼を持った有能な文官でした。

 

孫権にも「後漢王朝はもう駄目なので、江東の地で新しく王朝を

開いて、その王となるべきです。」と主張しています。

 

実は、古参の張昭のような文官は、後漢王朝の復興にこだわっていて

魯粛とは水と油だったのですが、孫権は両者の長所を入れて

バランス良く、これを用いていたのです。

 

また、後に夷陵の戦いで蜀軍を破って名を上げる陸遜(りくそん)も

孫権によって見出された人材です。

 

拡大していく、呉は多くの人材を必要としていました。

それを満たすには、有能な人材を見出す眼力が不可欠だったのです。

 

孫権は、その大事な眼力を持っていたからこそ、

受け継いだ呉を拡大させて、三国の一国の地位を確保できたのです。

 

関連記事:遅れてきた呉の英雄・孫権の才能とは?

 

この記事を書いた人:kawauso

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kawauso

自己紹介:

三度の飯の次位に歴史が大好き

10歳の頃に横山光輝「三国志」を読んで衝撃を受け
まずは中国歴史オタクになる。
以来、日本史、世界史、中東、欧州など
世界中の歴史に興味を持ち、
時代の幅も紀元前から20世紀までと広い。
最近は故郷沖縄の歴史に中毒中、、

好きな歴史人物:

西郷隆盛、勝海舟、劉邦、韓信、、etc

何か一言:

歴史は現在進行形、常に最新のジャンルです。

 

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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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