魏志倭人伝によって描かれるのは、卑弥呼からの使者が魏を訪れたという歴史的事実ですが、実は、孫権(そんけん)も、対日出兵していたということはあまり知られていないかもしれません。
夷州と亶州
230年のことです。孫権(そんけん)は、こんな話を耳にします。
「会稽(かいけい)の東方の海中を行くと、夷州(いしゅう)と亶州(せんしゅう)があります。ここの住民は数がとても多く、みな勇猛なのです」
会稽とは、現在の紹興(しょうこう)市のあたりです。紹興酒の特産地です。ちなみに、「会稽の恥」という故事も存在しまして、これは、陳寿が孫権に似ていると比較した人、勾践(こうせん)が宿敵夫差(ふさ)に負けて会稽山に逃げ込んだときの屈辱を示しています。
話がそれてしまいましたが……会稽の東方の海を渡っていくとある国は、そう、日本です!夷州と亶州は日本のことを指しているのです。もともと、日本の弥生時代に伝わってきた稲作は、中国の江南地域からもたらされたものです。孫権の治める江南地帯には、古くから日本とのつながりがあったのです。
対日遠征をした孫権
孫権は、これから対魏、対蜀戦争に使える勇猛な戦士を手に入れようと対日遠征を試みます。
衛温(えいおん)と諸葛直(しょかつちょく)が日本へ派遣されます。3000人の住民を捕らえました!
しかし、疫病がはやってしまい、8000人の兵士を失いました。マイナス5000人の大赤字の遠征になってしまいました……。
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徐福伝説を聞く
大損をしてしまった対日遠征でしたが、衛温と諸葛直は、現地の長老からこんな話を聞くことができました。
「昔この地には、始皇帝の命を受けて、不老不死の薬を探しに来た徐福(じょふく)がやってきたのじゃ。徐福はこの地にとどまり、今では一族は、これこのように一万戸に達しましたぞ」徐福伝説は日本各地に存在し、いったい彼がどこに上陸したのかはいまだ不明ですが、日本である可能性は濃厚でしょう。
魏と倭の交渉以前に、呉と倭の交流があったというのはとても興味深いですね。
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