曹操は音楽を好み、宴の席で楽の音に合わせ、しばしば即興詩を披露したといいます。また、周瑜は音楽に精通し、したたか酒に酔っていても、音楽の演奏に間違いがあるとその事を指摘するよう振り向いたことから
『曲に誤りあれば周郎が振り向く』と言いはやされました。
三国時代、人々にとって音楽はどのようなものであったのでしょうか?
演奏できる状態で発見された紀元前6000年頃の骨笛
音楽の起源は古く、いつ頃からあったのか、定かではありません。現在、最も古い時代に作られた笛であると確実視されているのは、ドイツで発見された36000年前の骨製の笛です。
中国神話において、人類を創造したとされる神『女禍』(じょか)が、人間に音楽を与えたとされています。1986年には中国で紀元前6000年頃に作られたと思われる笛が数本出土しています。素材はタンチョウの骨と考えられ、中には現在でも演奏可能なものも含まれていました。
政治・道徳的に重視されていた音楽
現代人にとっての音楽は娯楽であり芸術であり……つまり楽しむための創作作品、というイメージが強いところですが、古代中国では、音楽を政治的な儀礼に利用する考え方が強くありました。
その時代、音楽は人の本心やまごころを表現するための重要な手段と考えられていました。音楽は正しく用いることで人間の意識をコントロールして意識を高める道具とされ、礼儀作法と合わせて『礼楽』(れいがく)とも呼ばれました。
礼楽を重視した孔子は音楽理論を記述した『楽経』(がっけい)という書物を記したとされていますが、これは秦の始皇帝が行った『焚書坑儒』(ふんしょこうじゅ)によって焼き払われ、失われてしまったと伝えられています。
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重箱の隅をつついたわけではない周瑜
『礼楽』の考え方によれば、音楽は正しい楽器や曲目、そして演奏を行うことで初めてその本来的な役割を果たすとされ、さまざまな思想家が音楽理論を論じる書物を書き記しました。
こうした『礼楽』の考え方は前漢時代まで支配的であったとされますが、後漢の時代に入るとそうした堅苦しい考え方から解き放たれた自由な形式の楽曲『楽府』がもてはやされるようになります。
曹操も、この新しい音楽である『楽府』に合わせて即興詩を詠んだとされています。しかし、三国時代は新しい音楽の時代ではありましたが、まだまだ古い『礼楽』の考え方が根強く残っていたことは想像に難くありません。音楽を正しく演奏することが求められる『礼楽』にあっては、小さな演奏ミスも大きな問題であったのでしょう。
些細な演奏ミスをいちいち指摘するような周瑜の行為は、現代時の音楽観からすればやや『重箱の隅を突く』ようにも思えますが、『礼楽』という背景を考えれば、音楽に精通していたという周瑜の反応としてはごく自然なものだったのかもしれませんね。
中国風のメロディと聞いてどう思い浮かべますか?
『中国風のメロディ』と聞いて、多くの方がまず思い浮かべるのは「チャカチャカチャンチャンチャンチャンチャン~♪」
というメロディではないでしょうか?
さまざまな楽曲に似たようなフレーズが使われており、その原典が何であるかははっきりしていませんが、どうやらその出典元は中国の音楽ではないようです。
19世紀半ばにアメリカで作曲された「アラジンの中国大スペクタクルあるいは魔法のランプ(The Grand Chinese Spectacle of Aladdin or The Wonderful Lamp)」というオペレッタに、この原型となったメロディが確認できます。
魔法のランプのメロディ
あのメロディは欧米人が『中国風』を意識して創ったもののようですね。
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