広告

馬超や曹操と因縁が深い氐族(ていぞく)

2015年7月12日


 

はじめての三国志コメント機能バナー115-11_bnr1枠なし

氐族

 

氐(てい)族は、自らを古の槃瓠(ばんこ)の末裔と称していました。槃瓠は、中国の帝王に仕えた犬で、手柄を立てて皇帝の娘を嫁にしてそれが、氐族の先祖になったという伝承があるようです。春秋戦国時代の頃には、陝西省から甘粛省の周辺に居住しています。彼らの自称は“盍稚”(がいち)といい、それぞれ王侯がいて、中国から多くの封拝を受けていました。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


【誤植・誤字脱字の報告】 バナー 誤字脱字 報告 330 x 100



【レポート・論文で引用する場合の留意事項】 はじめての三国志レポート引用について



氐族とは、どのような民族なの?

スキッパーキ(はてな)

 

氐の種族は一つではなく、青氐・白氐・蚺(ぜん)氐などに分かれています。彼らの氏族トーテムや、服の色などに基づいて部族名にしました。

 

※トーテムとは植物や動物など、その部族を象徴するアイテム、宗教的に結び付けられている。

 

肉屋

 

氐族には姓があり中国の姓に似ていたようです、彼等は、他の遊牧民とは違い農耕民から奪うだけではなく、織布ができ農業もしながら豚・牛・馬・驢騾(ろら)を畜養するという、半農半牧、時々略奪というような生活を送っていました。

 

漢の武帝に追われて山間部に逃げる氐族

祁山、街亭

元々は平地に暮らしていた氐族ですが、ここに漢の武帝が武都郡を置いて入植を開始すると、多くの氐族は、青海湖側の山間部に追いやられます。しかし、氐族には漢語が分かる人間も多くいて、彼等は、平地に残ったと言われています。

 

馬超について、潼関の戦いに参戦

馬謄

 

後漢の末期、氐族には、興国氐王の阿貴(あき)、白項氐王の千万(せんまん)という二大王に率いられた、それぞれ1万以上の部族がいました。これに目をつけた西涼の馬超(ばちょう)は、阿貴と千万を味方につけて西暦211年に曹操(そうそう)に反旗を翻します。

馬超と韓遂

少なくとも10万以上の馬超と韓遂(かんすい)と氐族の連合軍は、曹操軍と激突散々に曹操を苦しめますが、賈詡の離間の計で馬超と韓遂が仲違いし阿貴が曹操軍の猛将、夏候淵(かこうえん)に攻め滅ぼされるに至り、勢いが衰えその部族は、魏に帰順します。千万は、巴蜀に逃れ以後は行方不明になります。

 

関連記事:曹操を油断させた潼関(どうかん)の大勝利

関連記事: 馬超と許褚の一騎打ち|関中を巡る戦い

 

氐族から英雄、符堅が登場華北を制圧する

炎上する城b(モブ)

 

しかし、時代が魏から晋、五胡十六国時代に移行すると、氐族は、再び勢いを取り戻し、成漢、前秦、後涼というような中華風の国家を立てていきます。その中でも前秦の符堅(ふけん)は優れた名将で華北を制圧し、南の漢族の国、東晋に五十万という南征軍を派遣します。

敗北し倒れている兵士達b(モブ)

 

ところが、東晋は、決死の覚悟の五万にも満たない兵で抗戦。名宰相、謝安(しゃあん)や将軍、謝玄(しゃげん)の活躍により南征軍は8割が戦死するという大惨敗を喫し、符堅も重傷を負い帰還します。この敗北で前秦に従っていた遊牧民は次々に離反して別々に国を立てていきます。前秦も実力者であった羌族の将軍、姚萇(ちょうよう)により簒奪され、符堅は殺害されました。

【次のページに続きます】

 

次のページへ >

  • この記事を書いた人
  • 最新記事
kawauso

kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

-三国志の雑学
-, , ,