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この記事の目次
異民族の名前・地域別
三国時代も多くの異民族が存在していました。代表的な異民族を地域別に紹介しますので豆知識程度でお読み下さい。西方では、氐(てい)・羌(きょう)族東北では烏桓(うがん)・鮮卑(せんぴ)族長江下流では山越(さんえつ)中流では南蛮(ばん)益州南部は西南夷(せいなんい)
何で異民族は反乱を起こすの?
kawauso氏でも取り上げていたが、前漢の武帝による体外積極策をとっておりその一策として異民族を内地に強制移住をさせていました。また魏の曹操も同じように後漢末に激戦した労働人口の対策で、積極的にに異民族を内地に強制移住をしていました。
異民族と漢民族が入り混じって一緒に生活をすると言う事を「蛮漢雑居」と言います。この蛮漢雑居により弊害が生まれてしまいました。それは漢民族が異民族を差別し圧迫して収奪し始めたのです。
異民族も漢民族による理不尽な対応に何度も挙兵し漢民族に抵抗しますが、彼らもこの理不尽な生活から逃れるためには反乱は、どうしようもない事でした。
呉が三国統一を出来なかったのも異民族の影響?
魏の曹操の異民族対策と言えば郭嘉(かくか)が提案した烏桓討伐。でも魏だけではなく、蜀や呉も南の異民族の討伐や挙兵の鎮圧を行っており特に呉は、山越(さんえつ)の抵抗が激しく鎮圧に忙殺されて中原進出の機会を失う事にもなりました。
呉は諸葛瑾の息子である諸葛恪(しょかつかく)が台頭するまで山越に悩まされる事になります。それほど、魏・蜀・呉は敵国だけではなく背後の異民族の事を考えながら敵国と覇権争いをしていたのです。今回は各国の異民族事情でしたが、北の異民族だけじゃないぞ!
次回は呉を苦しめ、甘寧(かんねい)を討ち取った武蛮族(ミャオ族)を紹介しましょう。