2003年にイラク戦争が起きてから、一向に収束の気配がない
イラク問題、それどころか武装過激派集団ISISがイラクを過半制圧するなど
事態は、より泥沼化しているようにも見えます。
日本も自衛隊を派遣した、このイラク戦争、そもそも、どういう経緯で起きたのか?
いつも通り、三国志で例えながら解説してみます。
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この記事の目次
サダム・フセインは皇帝を自称した袁術(えんじゅつ)
フセインは、イラクのバース党を率いる独裁者でした。
恐怖政治を敷いていましたが、一方でイラクの近代化を促進して、
イラクは中東諸国ではかなり近代化が進んだ国でもありました。
袁術は、国内政治では全然有能ではありませんが、
一応、サダム・フセインの立場に置いておきます。
アメリカは、後漢皇帝を擁立する曹操(そうそう)
アメリカは、曹操に相当するでしょう、この時点で献帝を擁立していて
中国において確固たる地盤を持ち、しかも献帝を利用して周辺国に、
号令を下せる地位にありました、国連において大きな影響力を持つ
アメリカに対応していると思います。
ロシアや中国、フランスは袁紹(えんしょう)公孫瓚(こうそんさん)
アメリカ主導の多国籍軍に反対したロシアや中国、フランスは
はじまりは、アメリカが、イラクが国連で保有を禁止されている
大量破壊兵器を保有していると発言した事です。
イラクのフセイン大統領は、そのような物は保有していないと主張。
国連査察団を入れて、調査させて、大量破壊兵器は無い事を
証明しました。
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戦争がしたいアメリカ、その理由とは?
ところが、戦争がしたいアメリカは信用せずに無理難題を突きつけて、
最終的には、フセインが国外に退去しないと攻撃を加えると
最期通牒を送るまでになりました。
その背後には、イラクの石油資源がありましたが、フセインは、
これに激しく反発し、「アメリカの侵略を阻止する」と徹底抗戦を表明します。
これが、イラク戦争に発展してしまうのです。
アメリカ(曹操)がフセイン(袁術)が対立
こちらを三国志に当てはめると、袁術の皇帝即位が出てきます。
元々、袁術を目ざわりだと思っていた曹操は、袁術が皇帝を自称すると、
「これこそ、漢の天下を無視するものであり、反逆である」と言い、
呂布や、孫策や劉表、と言った、袁術を取り巻く群雄に、
お金と官位をばら撒いて、これを討伐するように命令します。
つまり、曹操を中心とした多国籍軍と呼べますね。
ただ、袁術から遠い、袁紹や公孫瓚、劉焉は、曹操に同調せず、
黙殺しているので、これは中国やフランス、ロシアに当たります。
袁術は、周囲から皇帝即位を止めるように忠告されますが、
袁術「お前らだって、漢を見限っているのは一緒だろ!」
と袁術も決して譲らず、結局袁術は、孤立して曹操や、
劉備(りゅうび)、呂布(りょふ)の攻撃によって、ダメージを受けて自滅します。
曹操が袁術を攻撃した理由
アメリカは、表面上は大量破壊兵器、後には、イラクの民主化を
スローガンにしましたが、内心は石油利権が目的でした。
曹操も袁術の皇帝自称はどうでもよく、ただ、ライバルを潰せる
よい口実が出来たと思ってそれを利用したのです。
恐らく、曹操に追従した群雄も、そうだったのでしょう。
今日も三国志の話題をご馳走様でした。
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